究建築研究室 Q-Labo.
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MEMO 雑記・ブログ
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寄席と朗読@荒壁を廻る家

「荒壁」からの桜の眺め

もう2週間前のことですが、4月上旬花満開の頃、「荒壁を廻る家」を会場に開かれた落語と朗読の会に、お邪魔してきました。

真ん中の茶室が「高座」として使われ、リビングが座布団の敷き詰められた客席となっていました。まさにハレの場としての中心。いや〜、こういう予想外でかつピッタリの使い方をしてくれるとは。設計者冥利に尽きます。

これは合成イメージです。実際にはテーブルとかは片付けてありました(当日、痛恨の写真取り損ね)

落語は二口大学さんによる「粗忽長屋」。
初見。えらい哲学的なテーマの話だなあと思っていたら、そのシュールな雰囲気が朗読につながっていくのだった。

朗読は広田ゆうみさんによる、別役実の「泥棒のいる街」「魔法使いのいる街」「六百五十三人のお友だち」(『淋しいおさかな』所収)。
恥ずかしながら別役実を知らなかった。三話とも不思議なもやがかかったような「街」のお話。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』にでてくるような、幻想的な街の姿を思い浮かべながら、聞いていました。「六百五十三人のお友だち」が個人的には一番好きだったな。もの悲しくいい話。

その後めったにお会いすることのない演劇世界の方々と一緒に、夜風の気持ちよいバルコニーで夜遅くまで懇親会がつづいたのでした。Kさんご夫妻、とても楽しい時間をありがとうございました。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.23 | (0)

竹原義二展@ギャラリー間

今月14日から、東京のギャラリー間で「竹原義二展・素の建築」が開催されてる。

三年ほど前に、竹原さんの著作『無有』を構成役としてお手伝いした縁で、13日に行われた上記展覧会の内覧会+記念パーティーに声をかけていただき、久しぶりに東京へ。

ちなみに、今回の展覧会にあわせて初めての作品集『竹原義二の住宅建築』も刊行されている。こちらは写真が中心なので、『無有』(テキストがものすごく充実)と併読すると、竹原建築への理解がたいへん深まるはず。是非あわせての購入をお薦めします。

ギャラリー間・会場風景

4〜6寸角くらいの角材(杉か?)が内外に縦横に組みたてられて会場が構成されていて、木という素材をコンクリートか石のように、量塊的に扱う竹原建築の雰囲気を味わうことができる。木材の体積はなんと29立米あるという。普通の木造住宅2軒分。ギャラ間史上最大級の重量と密度の会場構成に違いない。建築とは概念とかイメージの操作ではなく、あくまでモノでなりたってるんだ!という、設計者の強い意志が伝わってくるよう。
会場プランもたいそう複雑なものとなっていて、竹原建築の醍醐味である迷路的プランニングの一端もかいま見れる。

しかし、竹原建築で木といえば(最近は特に)広葉樹である。なぜ今回は広葉樹を使わなかったのか、懇親会で伺ったところ、広葉樹だと比重が重すぎて会場ビルの方がもたないからだそう。
とはいえ今回用いられてる針葉樹材も、数年天日にさらして黒ずんだ材をわざわざ使っており、一風かわった木の表情が引き出されている。素材を大事にしつつも、そのままでは使わない。必ず一仕事加えて味を引き出すという、なんだか江戸前の寿司職人のような姿勢が素敵だ。

T定規による手描き図面。
職人の手仕事にこだわる以上、設計者も手仕事で応えるということなのでしょう。
このあいだの『TOTO通信』で藤森照信も指摘してたけれど、竹原義二氏の語りにしばしば登場する「1対1」「フィフティ・フィフティ」「対等」というキーワードと関連するのだと思う。真摯というか、愚直というか。とにかく背筋が伸びる思いです。

二次会にて。
建築写真家の大橋富夫さん、ICUの長田直之さん、南洋堂の新宮君らとテーブルをご一緒する。
大橋さんには撮影現場のエピソードなど楽しく聞かせてもらう。「人の写真を撮る時は、ジャンプしてもらうとよい。その仕方に人間性が表れる」という。黒川紀章は「気をつけ」をして跳んだ。
長田さんからは「どういう家を設計してるの?」「白い家?」と聞かれ、「白くない家です」と答えたら、「逆境からのスタートだねえ」と言われた(笑)。
「白い/白くない」というのは、藤森照信がいうところの「白派(抽象系)」と「赤派(モノ・形系)」のことかなと思ったが、もう少し単純なスタイルの話かもしれない。いずれにしても、「白い/白くない」という極めて乱暴な二分法なんて、人の作品を論じる際にはほとんど無意味だと思っていたのに、自分の建築に引き寄せて考えると、妙に腑に落ちてしまったのはどういうわけか。これが二分法の力なのか。しばらく悩みそう。

三次会は、アイシオールの多田さん・豊永さんと一緒に、久住直生氏が手掛けたという土のバー「六本木農園」へ。
壁から床、棚からカウンターにいたるまで左官の嵐で面白かった。あまりに土に囲まれているので、ピラミッドの石室の中にいるような気分になった。しかし、いくらなんでも建具にまで塗るのはやりすぎでない?

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.18 | (0)

サントリーニ島 Santorini Is.:Greece, 1996

サントリーニ島 Santorini Is.:Greece, 1996

エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島の一つ、サントリーニ島の町(おそらくイアだったと思う)。
この島は、アトランティス大陸の推定地としても有名だが、建築の世界では何と言っても、ミコノス島と並び、白い家が群生する街並みの美しさで知られる。

僕が「集落」というものに興味をもった切っ掛けの一つは、たしか、大学1年生頃に見た、二川幸夫によるこの街の写真集だったと思う。

建築に興味の無い人さえ魅きつけてやまない、この風景の魅力の源は何なのだろう。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 , SELECTED 選り抜き | 10.03.21 | (6)

五条以南の高瀬川

五条楽園付近の高瀬川

保育園への送り迎えで、ちかごろ五条通より南の高瀬川沿いを、毎朝のように通る。

高瀬川沿いの雰囲気は五条通を境にして大きく変わることは、京都でも知らない人が多いかもしれない。
五条より北は、沿道に料亭・旅館が並び観光客も多い。対して五条より南は、いわゆる「五条楽園」で、京都の人でも歩いたことのある人は少ないと思う。まあ実際に歩いてみると、どうということはないし、むしろ散歩するには北以上に気持ちの良い道なんだけど(この高瀬川の南北断絶は、五条通に高瀬川沿いの横断歩道が無いことで決定的になっている)。

そういった料亭街か「楽園」かという違いを抜きにしても、川沿いの雰囲気は南北でかなり違う。物理的に違っている。それは、そこに生えている樹木の種類がまったく違うからだ。

五条以北では、二条通までつづく桜並木が見事だ。とりわけ松原通の前後はよい。今は冬なので、葉はなくたいへんすっきりとした感じ。

で、五条以南はというと、桜もところどころにあるにはあるのだけど、なんというか、ずっと緑が濃い。常緑樹が多いうえに、色々な樹種が混在して鬱蒼としているのだ。そこらへんが個人的には好み。ただ、このため見通しがやや悪くなっており、これは、外部の人が立ち入りにくい雰囲気となっている理由の一つだろう(ひょっとしたら意図的なものかもしれない)。

この五条以南の雑然・鬱蒼とした植生がなかなか面白いのだ、というのが今回の主旨。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.03.09 | (0)

京都タワーとか

紫の海にたゆたう山鉾群@京都タワー 2002


先週末は久々に飲みが重なった。
金曜日は、仕事が一区切りついた(ついてしまった)のを機に、日頃お世話になっている工務店の方と、久々の西村鮮魚店にて。あいかわらず魚が美味しい。途中から大工さんや電設屋さんも合流して、まだ薄寒いのに屋外のテーブルで12時過ぎまで話し込んでしまう。
施工と設計という立場を超えて、率直に話し合える関係ができてきたのは嬉しいことです。

土曜の夕方は、京都駅付近の居酒屋にて保育園の保護者懇親会へ。保育士さんとお母さん方十数人の中に、男は僕一人という状況で、だいぶ緊張した。残念ながら体調優れず(二日酔いが残ってたので)、めずらしく二軒目は遠慮して帰宅。


懇親会の前に少し時間があったので、約8年ぶりに京都タワーをのぞいてきた。

噂には聞いていたけど、前は学食のようなレストランだったタワーの台座部分が洒落たラウンジになってたり、土産物コーナーがだいぶスッキリとリニューアルされてたりで驚いた。
8年前にタワー入口付近にあった《ブラックライトを浴びて極彩蛍光色に輝く回転舞妓の像》がなくなっていたのは、ホッとしたような残念なような。


せっかくなので(何が?)、2002年の『京都げのむ No.2』取材時の写真をちょっと公開(冒頭の写真も含め、すべて京都タワー内にて撮影。げのむ2号のグラビアにも収録されています)。


左:発光回転舞妓、右:ピンク一休さん
(撮影:冒頭・左/渡辺菊眞、右/上林功)

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.03.08 | (0)

アバター Avatar

まあ、いまごろなんですが、先月頭に『アバター』を見に行って来ました。
(映画館に行くのは、カーンの『My Architect』以来という…)

これからという人は、字幕版か吹き替え版か迷うと思うけど、僕としては吹き替え版をお薦めします。3Dだと字幕がやや読みづらく、せっかくの映像に集中できない。

ストーリーは、なんというか「ほどよい塩梅」。

『ダンス・ウィズ・ウルヴス』と『マトリックス』と『もののけ姫』(ナウシカも少し)が混ざった感じなんだけど、誰もが大事と思えるテーマが、腹が立つほどに単純ではなく、頭を悩ますほどに新奇だったり複雑でもなく、きちんと盛り込まれている。映像を堪能することに集中できる、さじ加減絶妙のストーリーでした。

で映像はというと、期待の3Dは思ったほどのインパクトはなかったものの、緑溢れる惑星の表現が、〈男の子ごころ〉をくすぐりまくります。
何百メートルにもそびえる樹々の梢を歩いたり、山が空に浮かんでたり、植物と通信できたり…。野生の竜に乗って空を飛ぶ、なんていう、子供の頃に『エルマーのぼうけん』シリーズを読んで以来の憧れが、これでもかと実写化(?)されていて、恥ずかしながら、感動しました。

やはり映画は「夢」を描いたものが一番。


蛇足ですが、インド文化がけっこう意識的にとりいれられてるのかな、と感じました。
「アバターavatar」がサンスクリット語起源だというのは有名な話で(たとえば、ヒンドゥー教においてブッダはヴィシュヌ神のアバター(化身)なのだ)、それと関係があるのかわかりませんが。
映画中、惑星先住民の言語で「見る」という言葉は、単に視覚的に「見る」だけでなく存在そのものを感じることだ、というような意味深げな語りがありますが、あれは、おそらくヒンドゥー教の「ダルシャン」という概念を意識しているのではないか。
「ダルシャン」という語は、ストレートに日本語に訳すと「見る」になり、神様や聖者に参拝することをいったりする。けれど、単に神様を「見る」だけでなく、神様に「見られる」ことでもあり、双方向の精神的感応の意味を含んでいる、というものだった(と思う。文献がすぐ見つからなかったので、すいませんがうろ覚え)。
そう考えると、惑星先住民の体が青いのも、あれはシヴァとかヴィシュヌの青い肌から来ているのでは…と。


さらに、蛇足。
僕らの世代で子供の頃にPCゲームやってた人、「アバター」と聞いてあの難解な名作RPG『ウルティマIV』を思い出さなかったですか?

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.02.28 | (0)

オープンハウスと鶴橋

Selimiye

先々週の土曜日(2/13)、ご近所の魚谷繁礼氏のところのオープンハウスで、昼間仕事を片付けてから、大阪の住吉へ。

個人住宅なので写真無しで書くけど、魚谷氏得意の構成的なつくりで、中心に畳の座敷があり、それを囲い込む廊下と縁側、その外周に深い庇が張り出して、その下が濡れ縁や個室になっている、という三層構成。
一方で、庇下の部分は居室も勾配天井にしてあって、日本建築の源流にある「母屋」と「庇」の関係を意識させる構成も特徴的だ。
最初、この入れ子構成と母屋/庇構成が結びついていなかったのだけど、よく考えてみると、両者は日本建築の歴史においてたいへん親密な関係にあるではないか。そうか、これは「寝殿造」なのだ!と思い当たった。
池のある広い庭に南面していることも、この推測を支持するのだけど。どうですかね、魚谷さん。深読み?

その後、森田一弥氏と鶴橋へ行って晩飯。
既にシャッターの閉まった鶴橋市場を徘徊し、これは、という直観の働いた韓国家庭料理の店に入る。カウンターに5人程でいっぱいの店。名前もしらない韓国のお総菜(ほとんどおまかせ)とマッコリでまったりとして、みやげにキムチを買って帰る。今度鶴橋に行くときには、また寄りたい店(店の名前は左下の写真参照)。

Selimiye Selimiye
右:
鶴橋駅構内にあったブックオフ。特設改札口つきで、電車がくる直前まで本が読める。商魂たくましい。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.02.20 | (0)

セリミエ Selimiye:Edirne, Turkey, 1996

セリミエ Selimiye:Edirne, Turkey, 1996

トルコのエディルネにある、ミマル・シナンのセリミエ(セリム2世のモスク)にて。

シナン(1489/1492〜1588)はキリスト教徒の出でありながら(A・スチールランによれば、彼はアルメニア人だったという)、オスマン帝国最盛期の建築家として生涯に数百の建築を設計した、史上稀に見る大建築家だ。しかもスルタン付建築家となったのは50歳の時で、最高傑作と呼ばれるもののいくつかは、80歳を超えてから建てられている。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 , SELECTED 選り抜き | 10.02.18 | (0)

2010 謹賀新年

nenga.jpg

子供と一緒に一歩一歩。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.01.11 | (0)

ウチヒサール Uchisar:Cappadocia, Turkey, 1996

ウチヒサール Uchisar:Cappadocia, Turkey, 1996

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 09.11.23 | (0)

金沢いろいろ:加賀3

成巽閣入口部分。なまこ壁の下の三色の石積がきれい


雪の科学館の後は金沢に宿をとり、寿司や鴨の治部煮など食べる。長流亭で時間をとりすぎて昼食抜きだったのだけど、腹が減り過ぎるとビールも飲めないことを知りました。
で、2日目は金沢を少し巡りました。

1件目、成巽閣。再訪。
残念ながら室内撮影禁止。ウルトラマリンの天井のショックは二度目でも変わらない。19世紀の座敷ながら、いまだ時代が追いついてないんではないかというくらいの、鮮烈で不思議な和風空間。

さて、今回の目当ては特別公開中の茶室・清香軒

屋内化された露地(上の写真)や原叟床(げんそうどこ)という床で有名な茶室(特別拝観料700円もとるのに、室内は撮影禁止。でも露地はOK。室外だから…)。ただし、茶室内にも露地にも入れない。せめて露地の建具も開け放ってほしかった。
が、文句ばかり言っても仕方ないので、茶室内から建具を開け放った露地越しに庭を眺める感じを一生懸命想像し、とりあえず、土間・縁側・入れ子構成の良さを併せ持った仕掛けと理解する。


2件目、金沢21世紀美術館。再訪。
ベビーカーを押しながら館内を練り歩く。たまたまやってた横尾忠則の企画展がとてもよかった。生活即アートという旺盛な表現活動を少しは見習いたいもの。発想と表現の隔たりはもっと小さくてよいんじゃないか、というようなことを考える。

3件目、ひがし茶屋街に行き、挟土秀平が手掛けたという金箔屋さんの総金箔貼り土蔵「箔座ひかり藏」。百式だ〜。
金箔の質感が土蔵の彫塑的な形態と意外なほどマッチして、いやらしさの無い端正な表情。見慣れたモノを白く塗り込めることで「意味を剥奪」して「抽象化」する、というあんまり好きじゃない現代アート(建築)の手法があるけど、それに近い。ただ、「金」というぬぐいがたい濃厚な「意味」が重なられてるので、別の生々しさを帯びていて、庶民は心穏やかに見ることができません。


ひがし茶屋街は、ここら辺の通り景観が有名だけど、少し裏にはいると上の写真のような感じで、様々な表情・色の下見板のコラージュのような街並みが面白い。さながら下見板の展覧会。使い古された下見板という外壁仕上げも、やり方次第でいろんな表情が生まれることがよくわかる。金沢の民家は下見板に注目です。

京都の町家にも下見板の外壁はよくあるけど、ここまで全面覆ってしまうのは見たことがない。他の土地ではあったかな? 外壁に左官を使わないのは、何か理由があるのだろうか。
そういえば清巽閣の案内のお姉さんは、こういう壁を指して、「ワッフル壁」と呼んでいました。うーむ。


4件目、帰りがけによった金沢ビーンズ(設計:迫慶一郎)。
曲面に本棚が並ぶ面白さは想像通りだったけど、円のモチーフから生まれる放射状の棚配置がよかった。見通しは悪いけど、足をすすめると次々と書架が迫り来る感じは、あえて例えると、3Dシューティングゲームのような感覚。照明もフツーの蛍光灯なんだけど、空間にあわせて工夫してて好感度○。立ち読み・座り読みできる場所も豊富に用意されてて、書店と図書館のいいとこをあわせた魅力的な店舗だ。こりゃ、流行るわ。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.11.22 | (0)

中谷宇吉郎雪の科学館:加賀2

雪の科学館から柴山潟をのぞむ

長流亭をあとにして、今回の主目的地・加賀市の中谷宇吉郎雪の科学館へ。
長流亭で時間をとりすぎたため、表彰式会場に到着したのは開始3分前だった。すいません。
前日に着任したばかりという加賀市長から賞状と賞金(今回の旅費で無くなりましたが)をいただいた後、館内で作品解説、併設のカフェで懇親会(アルコール無し)など。

館の中身の紹介については、こちらのサイト(堀越英美のハハコで行きたいハーコーなハコモノ巡りの旅)がたいへん的確にして面白いです。


左:
芝生張りの斜面が拡がる館へのアプローチ。冬になると雪をかぶった白山が見えるそうだ。なんとなく北欧っぽい雰囲気がするのは何故でしょうかね。アスプルンドの「森の葬祭場」を彷彿とさせるようなさせないようなウッフン(行ったことないけど)。

右:
展示中の拙作「SNOW CRYSTAL*HABITATION」。
建築のスケッチが趣味という、審査員の一人・樋口敬二氏(中谷宇吉郎の直弟子にして雪氷物理学の第一人)にいろいろとお褒めの言葉をいただき、「特別賞」ということで氏の旅のスケッチの絵ハガキを頂戴。ありがとうございます。物理学の方に評価してもらえるのは、とても嬉しい。


左:
エントランスホール上部の六角形のガラス屋根。
雪の科学館の設計は磯崎新(1994年)。基壇に六角形の塔が3つ乗る、という全体構成で、基壇部が展示スペース、塔の中がエントランスホールと映像ホールにあてられている。象徴的な六角塔と基壇が空間的に無関係な点はすごく気になるし、内部のデザインには脱力感さえ感じるものの、アプローチの仕掛けや六角塔の大胆なトップライト、ガラス張りのカフェ越しに柴山潟をのぞむシーン(冒頭の写真)など、要所の押さえ方はさすがにうまいなぁと。
ただ、ここをこうすれば、ホラ、いいでしょ?という「お膳立て感」がやや鼻につく。それを、下見板や荒いモルタル掻落しなど質感のある控えめな素材が、やや抑えている。のかな。

右:六角塔の外壁の下見板


左:
併設のカフェ(柴山潟を一望する、たいへん気持ちのよいスペース)にあったモンローチェア。初めて実物を見た。意外にでかく、意外に座り心地はよい。座面が広いからかな。この形状ゆえ背をもたせかけにくいので、自然と背筋の伸びる椅子でもあった。

右:
館内で体験できるチンダル像の観察実験。きれいに結晶化した氷を輻射により内部に熱を加えると、(たぶん雪の結晶成長と逆のプロセスが進行して)雪の結晶のような形で氷が溶けていく。写真はこの現象をOHPで映し出したもの。おぉ〜と思わず声が出てしまいます。
このほかにもダイヤモンドダスト発生装置などあり、科学ミュージアムとして非常に充実している。館の職員さんが誇りをもって熱心に活動されているのが、とてもよく伝わってくる。

下:
中谷宇吉郎が自ら設計したという自宅の模型。
伝導・対流・輻射の原理をふまえ、中心のペチカから家全体が均等に温まるように作られているのだとか。
うーむ。この模型を見る限り、空間的にはあまり魅力的でなさそうなんだが、面白いテーマ設定ではある。現代でも建築環境学の人はこういうの考えたりするのだろうか。


おまけ:
僕の好きな中谷宇吉郎の一文 「たまごの立つ話
わりと有名な「立春の卵」というエッセイを、中谷宇吉郎自身が心優しいラララ科学の子供向けに書き改めたもの。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.11.07 | (0)

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