セリミエ Selimiye:Edirne, Turkey, 1996
トルコのエディルネにある、ミマル・シナンのセリミエ(セリム2世のモスク)にて。
シナン(1489/1492〜1588)はキリスト教徒の出でありながら(A・スチールランによれば、彼はアルメニア人だったという)、オスマン帝国最盛期の建築家として生涯に数百の建築を設計した、史上稀に見る大建築家だ。しかもスルタン付建築家となったのは50歳の時で、最高傑作と呼ばれるもののいくつかは、80歳を超えてから建てられている。
シナンの時代は、日本では千利休(1522〜1591)、イタリアではミケランジェロ(1475-1564)という、これまた大芸術家が活躍した時代と重なっているのは興味深い。
このセリミエ(建設1570〜74)は、シナン80歳頃の作品。
オスマン・トルコの建築は、ビザンティン帝国の建築、とりわけハギア・ソフィアに大きく影響を受けている。大小のドーム・半ドームが組み合わさったトルコ式モスクのルーツは、ハギア・ソフィアである。
オスマンのスルタンは、これにコンプレックスを抱いていて、いつかハギア・ソフィアを超えるモスクをつくることを悲願としていた、そして、ついにこのセリミエでそれが実現した、というのが夢枕莫の『シナン』の物語るところである。
ただ、セリミエとハギア・ソフィア、両者の空間を体感してみると、そのような対抗意識はどうでもいいことのように思えてくる。むしろ、ほぼ同じ規模で、ほぼ共通の建築的ボキャブラリーを使いながら、ここまで雰囲気の異なった空間ができあがっていることに感動さえおぼえる。
暗い地上に雲間から光が射すかのようなハギア・ソフィア(右)。
対して、セリミエ(左)では多数の開口部からの柔らかい光が空間を満たしている。
ハギア・ソフィアの光は、神の偉大さ天国の荘厳さを想起させてくれる。しかし同時に、それは決して手に届かず、現世の人間はそれを垣間見られるにすぎないことも。畏怖と憧憬をかき立てるばかり。
けれどセリミエでは、光は羽毛布団のように優しくそこにいる人を包み、神と対面するこの空間こそが、今ここにある楽園なのだと感じさせてくれる。そこでは、此岸(日常)と彼岸(非日常)が溶け合っている。
冒頭に掲げた写真は、セリミエのほんの一角の一場面なんだけど、そのような(意外にも?)人に優しいモスクの性格を、よくあらわしているように思ったのでした。
下に絨毯が敷き詰めてあるというのも、モスクの優しさに一役かっていると思う。
日本では最近、住宅で絨毯が使われることは少なくなり(ダニの問題が大きい)、なんでもかでもフローリングだけれど、僕はけっこう絨毯が好きだ。柔らかな毛足の長い床に座り寝ころべる絨毯の心地よさは、畳ともまた違う。
床も天井も絨毯にくるまれた空間を、一度つくってみたいと、ずっと思っている。
セリミエのドーム見上げ
Tags: トルコ | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 , SELECTED 選り抜き | 10.02.18 | (0)