究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

2011年03月: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/2011/03/
Copyright © 柳沢究 Kiwamu YANAGISAWA, 2008-2024

オール電化雑感 その2〜4

「オール電化雑感」の続きをまとめて載せてしまいます。

その1」をアップした時に全部用意してあったものの、その後、大震災とまだ進行中の原発事故、計画停電などが起こり、続きを載せるのをためらっていました。
内容に問題があるとは思わないけれど、多くの人々が必死で最悪の事態を食い止めようとしているこの最中に、原子力や電力利用についての批判的な(という程大げさでもないんだけど)事をあえて載せたくない、そんな尻馬には乗りたくない、と思ったのでした。

とはいえ、おそらく半年一年後には電力や原子力に関する世論は驚くくらい転換していると思われる(まだ緊急事態を脱していないので控え目だけれど、そう期待したい)。その前に、震災以前のやや脳天気なテキストを残しておくのもちょっとは意味があるかと思い、載せることにした次第です。原発を横目に気にしつつも声もあげず手も動かさず日常的に電力をじゃぶじゃぶ使っていた僕のような人間にも、この事態に対する責任の一端はあるのですし。

以下、「オール電化雑感」のその2〜4です。
原子力に対する立場を鮮明にすることを避け、「効率」の話にしようとしているところが、今から読み返すとこざかしい・・。


「オール電化雑感」 (執筆11/02/23)

その1 オールモスト電化
その2 電気→熱はもったいない
その3 オール電化は政治的判断
その4 エネルギー一元化ということ


その2 ■〈電気→熱〉はもったいない

その1」の最後に、「オール電化の是非とは、狭くは電気を熱源としても利用することの是非であり、またより広くは家庭内のエネルギーを電気に一本化することの是非を考えること」と書きましたが、まずは、電気を熱源としても利用することについて。

ずっと気になっていたのは、電気を「熱」として利用することへの違和感だ。
せっかくいろいろ使える便利な電気エネルギーを、もっとも単純な熱エネルギーに変換して使うのはもったいないということである。

電源別発電電力量は以下のとおりである。

2009年では、原子力29%/化石燃料61%(石油7%、石炭25%、天然ガス29%)/水力9%/その他1%。
意外に石油が少ないことに驚いた。

水力とその他(太陽光や地熱とか)を除けば、いずれも原料から熱エネルギーを取り出して、蒸気の運動エネルギーを経て、電気エネルギーに変換する発電方式である。
つまり家庭で電気を「熱」として使用する場合、以下のステップを踏んでいることになる。

(1) 原料(石油とか) → (2) 熱エネルギー(火とか) → (3) 運動エネルギー(蒸気) → (4) 電気エネルギー → (5) 熱エネルギー(電気ヒーターとか)

従来の電気の暖房(電気ヒーターや電気床暖房)が灯油やガスの暖房に比べて割高であるのは、上記(3)〜(5)のステップ分がコストに加算されているからである。

では、エネルギーの利用効率という点で、電気を介するのとそうでないのでは、どれほどの差があるだろうか。

発電源のうち化石燃料(ガスや灯油)は、直接熱源として利用することもできるので、比較がしやすい。
家庭で直接化石燃料を燃やす場合(例えば暖炉や灯油ストーブ、ガスコンロ等)、化石燃料のもつエネルギーはほぼすべて熱エネルギーとして利用されるので、〈燃料100→熱100〉ということで、利用効率はほぼ100%となる。
(実際には器具の性能等に応じた損失が大小あるが、それは電気器具も同じだし、煩雑になるのでとりあえず考慮しない)。

化石燃料を一旦電気エネルギーに転換する効率、つまり火力発電の発電効率は、年々高まり現在で最大で60%近く、平均で40%に達しているという。
この電気が家まで送られてきて、熱に変換される。送電損失を5%を考慮すると、エネルギー変換効率は〈燃料100→電気40→熱38〉というわけで、約38%である。

エネルギーの有効利用という点から言えば、後者はもう、明らかに「もったいない」。
化石燃料の持っていたエネルギーの6割が、どこかに消えている(主に廃熱だと思うが)のである。

もちろん家庭内での化石燃料利用には、一酸化炭素など有毒性の排気や火災のリスクがともなうし、それに対応するコストも発生する。
だから「オール電化」は「安全性」をうたうのである。



その3 ■ オール電化は政治的判断

上記は化石燃料による火力発電の場合だが、では3割を占める原子力の場合はどうか。

原子量発電の発電効率は、日本の場合だいたい35%といわれる。
これは[発電された電気エネルギー/核分裂から得た熱エネルギー]という計算から得られる数字である。しかしながら化石燃料とは異なり、原子力は(兵器等をのぞけば)他の場所でそのエネルギーを有効利用できるわけではないので、この数字自体はほとんど意味をなさないと思う。
(原子力発電の仕組みは、核分裂反応のエネルギーを原子炉で熱エネルギーに変換し、さらに蒸気の運動エネルギーを経て電気エネルギーに変換する。基本的な仕組みは火力発電と同じである)

原子力は、ほうっておけば地中に眠ってるだけのエネルギーを取り出しているので、発電効率が何%であろうと、その意味で大変有効なエネルギー利用といえる。
さらに、単位エネルギーあたりのコストはさしあたり火力発電より安いこと(地震や攻撃・事故に対する安全対策コストを加えるとどうか、という話もあるが)、CO2排出が少ないことなどが原子力の追い風である。

発電におけるエネルギーの有効利用という観点に絞れば、原子力は明らかに優等生である。

火力と原子力以外の電源(風力や地熱・太陽光など)はまだ微々たるものであるため、「化石燃料消費を減らす」「CO2の排出を減らす」という近年の社会的価値観を是として(つまり火力発電は控え目にして)、なお「電気は潤沢に使いたい」と考えるのであれば、いまのところそれは、原子力発電によってまかなわれるほかない。

したがって、オール電化を採用するということは、とりもなおさず原子力政策へ同意する(少なくとも反対しない)という政治的判断の表明を(少なくとも客観的には)意味するのである。オール電化のウリの一つ「お得な深夜電力プラン」も、発電量を制御しづらい原子力発電所の余剰電力を前提としている。このことは、もうちょっと意識されてよいだろう。

ここで原子力発電の是非を書くつもりは無いが、原子力利用が潜在的に甚大なリスクを伴うものであることは客観的事実だろう。
コストは税金や利用料によって社会的に分散されるかもしれないが、リスクは原発のある地域が集中的に負う。
それは各家庭での小さなリスクを排除することと裏表である。

僕自身も「オールモスト電化住宅」において、どっぷり電力に頼った生活をしてるので、偉そうなことを言えた立場ではまったくない。
しかし、そこから一歩踏み出して「オール電化住宅」とすることが、電気と原子力に頼った生活を続けていくことの決意表明なのだとすれば、それには躊躇する。



その4 ■ エネルギー一元化ということ

最後に「家庭内のエネルギーを電気に一本化すること」について。

個人的に「オール電化」について二の足を踏む最大の理由は、エネルギー供給源を電気に一元化してしまうことへの不安だ。恐れ、といっていいかもしれない。

よくある話かもしれないが、例えば、もし停電が起こったらどうするのだという話だ。

最近では暖房や照明はもとより、時にはガスや給水さえも、電気が滞れば機能しなくなる。だから、オールモスト電化であってもこのリスクは残る。
停電などめったに起こらない。起きてもすぐ復旧するという向きもあるだろう。
そうかもしれない。でもそういうレベルの問題では無い気がする。
たとえば世界情勢の変化を受けて、電気料金の急激な値上げやむなしとなれば、
オール電化住宅はそうでない住宅よりも多大な負担を受け入れざるをえないだろう。
根本的なのは、エネルギーという生活・生命を支える重要な要素を、一つの企業に委ねてしまうことの不安である。

そんなもしものことばかり心配して、と思うかもしれないけれど、
たとえばビジネスで一つの大きな取引先に依存することが危険なのと同じであり、
電話やテレビなどの通信を、インターネット回線に一元化することも同じである。
(ルーター一つ故障したらもう話にならない)。
もうちょっと卑近な例では、夫や妻に精神的/経済的に依存しきってるのが危ない、って話だってそうじゃないのか。
そういえば原子力発電だって産油国への依存からの脱却(エネルギー自給)が一つの推進力になっているのだ。

何につけリソースの一元化というのは、コストや手間が効率化される(システムが順調な時には、という条件付きであるが)という点で大きなメリットがあるが、それは同時に他の選択肢を手放すことであり、ある種の依存状態になることを意味する。
Googleに頼りきりの情報生活がなんだか危ういのも同じだ。

僕はできればそんな状況を避けたいなぁと思う。
これは心配しすぎだろうか。
心配したところで電力会社や水道局やGoogleに頼り切りの状況は変わらないんだから、開き直ってもっと社会や会社を信用するべきなんだろうか?

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 11.03.29 | (2)

建具の検討

3/2(水)
京都GD邸にて使う(かもしれない)古建具を物色に、クライアント夫妻と井川建具道具店へ。「和知」や「たかはし」をやってた頃以来なので、約10年ぶり。にもかかわらず京都新聞の記事などを見て覚えていてくださりやや感激。
雪見障子や舞良戸、襖などを見てあれこれ検討。襖の出来の良し悪しがなんとなく見えてきた。
玄関にあうサイズの建具がなかなか無いなあ。

御池烏丸近くのカフェで打合せをした後、解散。
帰りに唐長の11代目ギャラリー伊右衛門カフェによる。銅のカウンターがかっこいいじゃないか。


3/4(金)
GD邸の検討の一環で、ふたたびクライアント夫妻とともに西陣の唐紙「かみ添」さんを訪問。約一年ぶり。嘉戸さんを囲み紙のこと染めのこと、版木のこと、いろいろ丁寧に教えていただく。GD邸で試してみたいアイディアも出る。
嘉戸さん曰く「やったことが無いし、どう変化するかわからないけど、すごいよくなると思いますよ!」。最も試してみたくなるシチュエーションですね。是非やりましょう。

打合せに同行しているチビ2号は、子供をあやすのが上手なかみ添の奥様にずっと抱っこされて、おおむね静かにしていた。ありがとうございました。

下の写真は、上の写真の襖に使われたトルコ製の版木。元は更紗のプリントに使われていたものという。
これを見て、そうかインド更紗の版木も使えるのではないか、と思い当たる。みんぱくで一緒だった更紗研究が専門の先生から借りられないだろうか・・と思案。

実はいつかコーラムの版木を作り、それを使った襖をつくりたいとも、密かに計画している。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 11.03.11 | (0)

ASJイベント@みやこめっせ

2/26(土)、27(日)
みやこめっせで開催されたASJのイベントに初参加する。
新聞の折り込みチラシを見て、10年近くご無沙汰の方が訪ねてきてくれたりもした。

2日間通算で100組くらいの来場者の方々と、設計についての考え方やこれまでの仕事について、繰り返し繰り返し話をする。さすがに疲弊するが、この人はどんなことに興味を持っているのか、どう話したら伝わるのか、考え工夫しながらやっているとだんだん反応が変わってくるのは楽しい。
設計事務所の人間は、小売店等のように日常的に大勢のクライアント(候補)と話をする機会があるわけではないので、よい経験になりました。

この二日間、みやこめっせの3階では合同卒業設計展が開催されていた。99年僕らが卒業の時、一時中断していた合同卒業設計展を工繊大の鳥居斉を中心に再起動した。その時は京都の6大学しか参加してなかったのに、今回は19大学という巨大さ。
布野修司先生も1日目のパネリストとして来ていたようだが、タイミング合わずお会いできず。同じく2日目のパネリスト勝矢武之氏とは、26日の晩に軽く飲む。負けずにがんばろうっと。

| MEMO 雑記・ブログ | 11.03.10 | (0)

「自炊」と増築論研究会

2月半ばから、毎週のように何かと出来事がありつつ、例によってなかなかアップできないまま現在に至るのですが、最近はブログに書いてない事柄の記憶が薄くなりがちなので駆け足で振り返ります。

2/15(火)
午前中から妙に寒気がしていたがそれをこらえつつ、午前GD邸の打合せ、午後NS軒の鉄骨関連打合せと済ませたが、夕方帰ってきた頃にはグロッキー。久々に39度超の熱が出る。インフルエンザだとまずいなと、翌日医者にいったら扁桃炎とのこと。
熱が39度あると、やや目が回る。
40度を超えると(インドでの入院時に一度だけ経験あり)、目を閉じていても、いろんな映像がかつ消えかつ結びて久しくとゞまることなしという感じ。酒に酔いすぎた時にも似ている。

2/17(木)〜
だいぶ復活したので、本棚に収まりきらない本を何とか減らそうと、雑誌や論文資料の一部の電子書籍化(PDF化)、通称「自炊」を敢行する。

必要な裁断機や高性能スキャナーをいきなり買うのは躊躇われたので、「スキャレン」という「自炊」機器レンタルサービスを利用した。裁断機は懐かしの指を切り落としそうなやつ。スキャナ(Scansnap1500)の性能は、紙質によって紙詰まりや二重送りが頻繁に起こるが、まあ満足の性能。A4裏表を3秒くらいでスキャンしてくれるのは素晴らしい。

  

一週間のレンタル期間中、仕事の合間をみながらザクザク裁断&スキャンを繰り返し、約150冊をPDF化した。それでもダンボール三箱分しか減らなかったのは悔しい。
それなりの高解像度(カラー300dpi、白黒600dpi)でスキャンし、総データ量はおよそ12ギガ。

論文やレジュメ資料の保存には最適と思う。雑誌はまだPCのPDF表示性能が追い付かずやや重い感じがあるが、まずまずの使い勝手。
やや困ったのは、PDFビューワのアプリケーション。マックの場合だけかもしれないが、「Adobe Reader」はページのサムネイル表示が遅く、サクサク流し読みしづらい。マックデフォルトの「プレビュー」はだいぶ軽いが、縦書き(右綴じ)本の見開き表示ができない。そのために結局、いろいろ調べて「ComicViewer」という電子マンガ閲覧用アプリケーションを導入。いいソフトだけれど、アイコンデザインをもうちょっと、何とかしてほしい。

PDFデータは検索できないと価値が半減するので、タイトルと目次くらいは、OCRやウェブ上のデータを拾いつつテキストデータ化しておく必要がある。地味で面倒くさい作業だけど、少しずつやらないといけないな・・。

iPadとかギャラクシータブとか、pdfリーダーが欲しくなってきた。
裁断機はかさばるが、スキャンスナップは買ってもよいかもしれない。


2/19(土)
昨年来、西川英佑氏(元京大、現東工大研究員、薬師寺東塔の修復論で学位)と建築の増改築論に関する研究会を立ち上げようと意気投合し、その第一回が西川氏の尽力でついに開催。
文化財技師の北脇氏や絵画修復を専門とされる田口さん、歴史家の図師氏、RADの川勝氏にも加わってもらい、それぞれ持ち寄ったスライドを披露しながら、あれこれ議論。いろいろな刺激をたくさんもらった。第二回も早くやりたい。

会場は町家を改修し古童具を扱う北大路の葵リサイクルショップ西店。時間の中の建築を考える集まりに実にふさわしい。
スクリーンがなかったので、古い掛け軸にプロジェクターを写す。


| MEMO 雑記・ブログ | 11.03.09 | (0)