2009年07月: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/2009/07/
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いまさら祇園祭
ここのところ7月末〆切の原稿のための資料読みに慌ただしい。
その間のいろいろ。
7/14(火)
祇園祭へ。今年はチビがいるので人混みを避けようと宵々々山へ。しかし平日にもかかわらず山鉾町はかなりの人出で思うように進めず。屏風祭もあまり見れなくて残念。来年はもう一日早めよう。Y上のいる岩戸山にいってビールと粽(ちまき)をもらいしばし雑談。チビが育ったらうちの町内入りませんか、という。最近は子供が少ないからかそんなのもありなんですね。
7/16(木)
T邸現場へ行ったら、宵山にもかかわらず、大工さんたち遅くまで頑張っておられた。暑いですね、蒸しますね。
帰りにふと見付けた「月と六ペンス」という喫茶店へ。古いアパートの一室にある。アイランド型の配置、棚、塗装、蔵書、手作り仕事と聞いたが、かなりイイ。グラスワインとコーヒーが同価格なので、当然ワインを頼む。禁煙なのが唯一残念だが、それでも行きたくなるお店ではあった。
その足で、満田さん事務所にお邪魔して、京都で独立して仕事をしている方と多くお会いする。山鉾をはじめて上から(マンションのベランダから)眺めた。
7/17(金)
会場となる京栄中央ビル最上階。眺めよし。
魚谷氏、RAD川勝氏と一緒に、8/7の「佐藤敏宏さんワイワイ会」会場となるビルの下見に。最上階ゆえか10×12mの空間に柱がない。おまけに外には20坪程度のルーフテラスまであって、なかなかの気持ちよさである。
今回はこういう会だが、今後もギャラリーやイベントスペースとして積極的に活用してもよいのではないかと思う。場所も河原町五条だし悪くない。大家さんどうですか。
7/22(水)
進々堂
久々のライブラリーワーク。T邸現場に顔を出した後、同志社大図書館へ。若干の資料コピー。その後、京大文学研究科図書室へ。日本でここを含めても3つくらいの図書館しか所蔵してないインドの論文誌を閲覧しに行った。
こういう研究的な仕事をするには、やはり京都はいい。資料の総量ではもちろん東京に負けるだろうが、質の高いスポットを自転車で回れるコンパクトさが格別である。
作業終了後、コーヒーでも飲みながら論文を読もうと思って、これまた久々の「進々堂」へ足を運ぶ。
いつも座る壁を背にした席につき、注文のお姉さんに「アイスコーヒーと灰皿を」と言ったら、全席禁煙なんです、との答え。外の席も。しばし絶句。まじですか。正気ですか。いつからそんなことに。しばし逡巡した後に、コーヒーは飲まずに店を出た。
いまさら書くまでもないけど、音楽が無く(重要)、机がでかく、本を並べて何時間いすわっても嫌な顔をされない、(コーヒーの味は普通だが)、いい店だったのになあ。タバコ嫌いな人にはもっといい店になったのだろうけどねえ。悲しいねえ。
その後、学士堂に行くが閉まっていた。定休日は確か日曜のハズ。まさか閉店したの??
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京都
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| 09.07.24
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ひさかたぶりの神楽岡の企画、やります。
今回はRADさんと合同開催で、福島の建築家・佐藤敏宏さんを囲む、スライド会ともレクチャーとも飲み会ともつかぬ会、「ワイワイ会」です。
神楽岡+RAD合同企画:
佐藤敏宏ワイワイ会+プチレクチャー『建築とか』
佐藤敏宏さんは建築家なんですが、ホームページを見てもらうとわかる(わからない?)ように、きわめてユニークな建築活動=生活を展開されていて、今回はその一つ「ことば閲覧」のインタビューで京都に来られます。
柳沢もいちおうインタビュー対象に入っていて、本企画の主催の一人でもあるんですが、実は佐藤さんには未だお会いしたことがありません。どういう会になるのか予測できないところがありますが、きっと、いろんな意味で、面白いことになりそうです。
飲み物・食べ物は「持ち寄り制」です。
あと、会場もなかなか面白い場所です。
今回はいつもの神楽岡ではなく、五条河原町にあるオフィスビル最上階をまるまる貸し切ってやります。
企画の詳細はこちらをどうぞ
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| 09.07.18
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2009/7/10(金)
午前中に打合せを一件すませ、午後はうちの事務所ビルの大家さんと、8月に企画しているスライド会の会場について交渉(空きビルのワンフロアをまるまる借りようと画策しているのです)。その後、T邸現場監理。
晩から図師宣忠氏と合流し、焼き鳥をつまみんだあと、Loki Academicaの「呑みながら講義」第一回に参加。
講師は京大博物館の塩瀬隆之氏。「からくり人形からロボットに伝承された技術」というお題から、からくりの機構的な話かと想像していたが、中身は主にコミュニケーション論であって、それが抜群に面白かった。
時計をきっかけとする歯車技術の進歩から複雑な動きをする人形(オートマタ)が生まれ、さらに19世紀の産業革命による蒸気機関の発明により、人形に動力が組み込まれ自律的な動きをするという現在のロボットのイメージが形作られたという(「ロボット」ときいて思い浮かぶゴツゴツした金属的なイメージというのは、この時代の蒸気機関、たとえば蒸気機関車の造形に由来するんですね)。
その後20世紀日本では、アニメやマンガ(鉄腕アトム、鉄人28号からガンダム、エヴへ)を媒体として、人型ロボットのイメージが国民的に共有されつつどんどん膨らみ、かつ洗練されていく。その成果が、90年代後半の人型二足歩行ロボットプロトタイプとして花開いたと。
しかしメカニズム部分の進歩がある一方で、ロボットが備えるべきとされる一つのイメージ「人工知能」については、今のところ限界があると。
ロボットは、あくまでセンサーによる情報取得を行い、それを一定の条件下で処理・判断し、それに対応したアウトプットを行うことしかできない。ポイントとなるのは「一定の条件」の幅で、たとえばチェスのように、入出力の条件がルールによって非常に狭く限定された状況には対応できるが、たとえば、対戦相手が怒ってチェス盤をひっくり返したりすると、ロボットには対応できないというような話。
ロボットにはそのような限界がある。しかし、それにもかかわらずロボットは今や生活の隅々まで浸透している(ATM、カーナビ、飛行機自動運転システムとか)。
そこで課題としてあがってくるのが、ロボットといかにコミュニケーションをとるか、というテーマ。
印象的だったのは、コミュニケーションの隠喩として、よく「キャッチボール」があげられるけど、実は「ビーチバレー」と考えた方がよいという話。
キャッチボールの例えでは、ボールを相手に向けて投げ、それをちゃんと受け取ることが大切と理解される。もちろんボールが意図やメッセージである。
しかし実際のコミュニケーションでは、必ずしもボールは自分が構えているところに向かってはこない。ボールを返すにも、そもそも相手がどこに構えているかを見極めるのは非常に難しい。だから、まず大切なのは、飛んできたボールを拾うことであり、相手が拾える範囲で返すことだと。だからビーチバレー(バレーじゃないのは、バレーが相手のいないとこにボールを落とすことが目的なのに対し、ビーチバレーはラリーを楽しむとこに本質がある、ということでしょう)。
いまのロボットのレベルでは、キャッチボールもできず、「ピッチングマシン」に過ぎないとも。
ロボットとのコミュニケーションを考える上ででてきた発想らしいが、それが人間同士のコミュニケーションにも十分に示唆的なところがすばらしい比喩。
長くなるのでこのへんでやめますが、ほかにも「歯車=コミュニケーション→摩擦が大事」の例えや、「悪いのは地球の重力に魂を引かれた人間達だろっ」というカミーユの台詞を交えながら、一時間強、卓越した話術とプレゼンテーション力による笑いの絶えないレクチャーでした。いやー、世の中には面白く賢い人がいるものです。
会場は20人でいっぱいでしたが、もったいないというか、贅沢というか。
レクチャー終了後も、図師と二人で塩瀬さんを囲み、今日の話題以外の研究テーマのことなど、2時くらいまで延々話をきかせてもらいました。
塩瀬さんに、「もともと機械工学出身ということだけど、何故こういうコミュニケーション論に展開してきたのか?」という質問をすると、「機械は人間が使うものだから、結局、人間とどういう関係をもてるかが一番大事」という(主旨の)答え。
昨今の建築界の議論を思い浮かべ、うーむと唸り腕組むことしきり。心地よいショックをたくさんもらった一晩でした。
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訪問
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| 09.07.16
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玄関の床板と框と階段。90度回転中。
2009/7/6〜12
久しぶりにT邸現場の様子。
左:外壁の左官下地ができあがってきた。来週中には上塗りに。
右:中には造作家具が一部設置されつつあり。キッチンとおかめ。
左:フローリングが張り終わった玄関。鉄板の階段がキレーにフローリングにささっています。写真右は棟梁。非常に丁寧な仕事をしてくれます。
右:夕方の感じ。照明は暗めの白熱灯がいい。
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T邸
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| 09.07.13
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2009/7/4(土)
午前中、T邸にて施主打合せ。造作家具ができあがってきた。
晩は、非常勤講師関係で先頃知り合ったエリック・ルオンさんからお誘いを受けて、ワインパーティへ。
パーティは、参加者が1人1本2500円以内のワインを持ちこみ、みんなで飲んで最後にベストワインを選出するという趣向だそうだ。毎回テーマが決められいて、今回は「革命」(7月4日だから?)。ということで、フランス、アメリカ、スペイン産のワイン限定。
僕が持って行ったのは、近所のタキモトで買った「真っ赤」なラベルのボルドー赤(ジャケ買い)。京都在住のインターナショナルな人が多いと聞いたので、芸工大時代の同僚で日系メキシカンのエリさんを誘い参加した。
50人近くが集まりたいへん賑やかでした。
ワインを飲みながらいろいろな方と。明貫造園出身の庭師の方、京都の建築家ドイさん、某大学職員の方、ボンバーなスペイン語教師の方などなど。途中ビールをはさみつつも、ワイン一本半分ほど飲んでしまう。
最後の投票では、なんとエリさんのワインがベストワインに。たしかに旨かったのだが、曰く「好きなワインなのでケース買いしてる」んだとか。そりゃ間違いない(ジャケ買いとレベルが違う)。
ちなみに2位のワインを持ってこられた方に聞くと、リカモンドセレクション2000円部門1位のものだそう。リカーマウンテン侮るべからず。
僕のワインはいまひとつで、半分以上残っていた。やはりジャケ買いはだめだ。
一等商品の食事券を手にしたエリさん。しかし、「あまり京都に来ない」ということで、ジャケ買いごときの私にお譲りいただく。ありがとうございます。妻にプレゼントします。なんちて。
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飲食
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| 09.07.12
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インド、デカン高原西部に位置する丘の上の廃都、ダウラターバード。
エローラ観光の基点となるアウランガーバードの郊外、ローカルバスで数十分の距離にある。
荒松雄「多重都市デリー」によれば、14世紀トゥグルク朝のムハンマド・ビン・トゥグルクは、この地をデリーとならぶ「第二の首都」として、デリーから多数の住民を移住させたというが、諸事情でわずか7年で撤退したという。
平地にぴょこりとある街道沿いの丘には、戦略上の要衝として古今東西城塞が築かれることが多いが、たいてい水不足で苦しんでいる。インドのような土地ではなおさらであったろう。砦ならまだしも、都市としてはきつかったのかもしれない。
(追記:上記のように書いた後GoogleMapの航空写真をよく見たら、丘のふもとの平地にキレイに城壁の跡が残ってました。都市はこの城壁内にあり、丘の上は砦だけだったのでしょうね。失礼しました。航空写真を見てると、丘の周囲にこれまたキレイに堀が巡らされています。往時はなかなかの偉容を誇る都市だったのでは)
さて、ここを訪れたのはたしか8月下旬の雨季最終盤、時折スコールがあるほかは天気もよく、緑の豊かな季節であった。
緑に埋もれた建築が好き、というのは何度か書いてきたけれど、ここは今まで訪れた中でも最高の「緑埋もれスポット」の一つである。
季節のタイミングと、観光地として未整備のため草ボウボウだったのが良かった。建築が地面に、まさに、溶け込みつつある様が存分に堪能できた。影がないので日射しで脳みそ茹だりそうだったけど。
遠景
実は、建築設計を生業とする身として「緑に埋もれた(廃墟っぽい)建築が好き」と広言するのは、何となくはばかられるという意識もある。「新しい建築空間」をつくる者の視点としては、非本質的で情緒的にすぎるんでないか、という声が聞こえるからだ。
それもあながち間違ってはいないとは思うけれど、時間と建築・自然と建築・文明と建築といった、より大きな関係の中で考えると、どうだろう。
このような遺跡や廃墟は、「新しい建築空間」をつくるにも有益な、様々な事柄を物語っているように思えるのだが。もう少し考えてみよう。
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インド
ヴァナキュラー
植物
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, PICTUREs 旅と建築
| 09.07.08
| (0)
2009/7/3(金)
先日、友人サハラマコト氏のブログからリンクされていた、JUNAIDA(じゅないだ)さんというイラストレーターのサイトを見て、ヤラレタという衝撃を受けた。で、ちょうど今週からCOCON烏丸で個展があるというので、市役所で別件の確認申請訂正を済ませた後、初日を見に行ってきた。
なにがヤラレタということもないんだけど、色調とか、水彩の柔らかさとか、絵本調のタッチとか、やけに建築的なモチーフが多いとことか、それが生き物かキノコみたく増殖してるとことか、それが空や水に浮かんでたり、草や木に埋もれていたりとか、その合間にいろんな人が遊んでいるとか・・・嗜好ど真ん中をつかれた感じである。僕がいつも描きたいと思ってた世界が、かなり近い感じでそこにあったのだった。
いやー30過ぎてもこういうことがあるとは。
ギャラリーでJUNAIDAさん(聞かなかったが、本名はジュン・アイダさんと見た)とも少しお話しする。彼が今のような絵を描くようになったのは、フンデルトワッサーや安野光雅の影響があるという。なるほどつながっている。ファンタジーというとヨーロッパ風の世界が多いけど、今後は日本的な木造の家も描きたいとのこと。僕もRCや鉄骨じゃなく、普通の木造技術で木造らしく、かつあまり普通でない空間を作ってみたいと常々思っているので、大きくうなずく。
サハラさんから聞いて僕のHPも見てくれてたらしく、TISTOUがいいですね、と。ああいうのほんとに作りたいんですけどね。なかなか屋根に木や草を載せてもいいという人に出会えない。しかし彼の作品を眺めていて、建築もやはり夢を描き続けないとな(できることを一生懸命やる、だけじゃなくて)、という思いを新たにしたのでした。
この日の晩は、魚谷繁礼氏の事務所で宮城大学の竹内泰さんと、京都調査計画の打合せに参加。夏に一気に調査をやって、黄表紙三本書こうと景気のいい話をする。京都ならではの、なかなか面白そうな新しい視点も見つかった。飲み会ではコミュニティ・アーキテクト(あるいはタウン・アーキテクト)はいかにあるべきか、という話で盛り上がる。
二軒目は近所に最近できたハライソparaisoに顔を出してみる。五条界隈には今まであまり無かったタイプの店だ。お店の方と下京の保育所事情などで盛り上がる。
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京都
訪問
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| 09.07.07
| (0)
鞆の浦について第4回(最終回)。
ところで最近、ヴァーラーナシーの「観光」についての原稿を書いており、その過程でいわゆる「観光学」の文献に何冊か目を通している。その中の一つ「『観光のまなざし』の転回」の中に、鞆の浦を扱った一章「創出された『観光地』:鞆の浦、二見ヶ浦にみる海景名所の近代」(著:川島智生)をみつけた。
それによると、鞆の港としての衰退は、明治半ばの鉄道開通と船舶スタンダードの転換(鞆の浦の水深では対応できない西洋船への転換)が決定的であり、港湾都市としての存続が危うくなった鞆の町は、その生き残りを「観光」にかけることになる。
本書には、大正から昭和の国立公園指定に至るまで、鞆の官民が一体となって、景観整備や観光インフラ整備、地域イベントの創出に邁進したことが描かれている。
現在まで続く「鞆の浦」という観光地のイメージ、つまり鞆に向けられる「観光のまなざし」は、このような流れの中で目的意識的に創り出されたということである。
また本書では、昭和30年代に対潮楼の足下まで続いていた岩礁を埋立てて広幅の幹線道路が建設されたこと、それによって鞆を代表する海景、すなわち「波しぶきのあがる岩礁と石垣、木造建築という三点セット」からなる「天然美と人工美の調和すこぶる妙」が失われたことにも触れられている。そして地形と対応した町の構造もまた一部失われた。
それはモータリゼーションの浸透というだけでなく、戦前期に鞆へ向けられていた「まなざし」が、この時期には変質していたことも意味するのだろう。
(上掲写真:戦前期の対潮楼、下:現在の対潮楼。上写真の右下の海あたりからのアングル)
いま鞆の浦はポニョや架橋問題をバネとしながら、「観光のまなざし」の再構築に取り組んでいる。
対潮楼下の埋立は、もちろん当時としての様々な判断の結果だろうが、現代の視点(まさに「まなざし」)から見ればやはり、残念なことに思われる。失われた独特の景観や町の構造は、観光資源としても、間違いなくかけがえの無いものであったはずだ。
このことは鞆をめぐる言説の中であまり触れられてないようだけれど、現代の架橋問題にとっても示唆に富む出来事ではなかろうか。くだんの橋は、対潮楼下の幹線道路を延長する形で架けられるのである。
「まなざし」とは要はモノの見方であるから、いくらでも作り直すことができる。地形や町は、なかなか難しい。
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思いつき
訪問
鞆の浦
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| 09.07.06
| (0)
太田家住宅の蔵の裏側の腰に貼られていた板。たぶん古い舟板を貼り合わせたもので、とても魅力的な表情になっている。
2009/4/23〜25
だいぶ間があいたが、鞆の浦の第3回。今回は太田家住宅と町の建築。
● 太田家住宅
漆喰のタタキ(ピシャンのような表情)と瓦の市松になった土間。すごい精度である。石張りでこういう市松はよくあるけど、色だけでなく表情の差もあるところが、もう一つ上のデザイン。
太田家住宅の蔵。いやーかっちょいい。漆喰と瓦と板壁のバランスが絶妙な、モダンアートのように美しい立面構成。倉敷の蔵もよかったけど、こっちの方がいいかも。軒やけらばを曲面で処理してるところも面白い。こういう家、つくりたいねえ。
座敷にて。広いのでチビが大喜びでハイハイしていた。
● 御舟宿いろは
まちづくり団体の方々が、使われなくなった町家を再生した旅館。全体のイメージは宮崎駿監督のスケッチに基づくという。リンク先のムービーを見てたら、「繭 mayu」の時のことを思い出しました。
残念ながら宿泊はできなかったけど、コーヒーとケーキを頂き、鞆まちづくり工房の松居秀子さんに少し話を伺うことができた。
● @CAFE
常夜燈のすぐ横にある手作り感満載の町家カフェ。雁木の前に机と椅子を出してお茶(とかビールとか保命酒のミルク割り)が飲めてとても気持ちよい。長期滞在してたら間違いなく入り浸ってしまうタイプの店だ。こういう店がいくつかあると町の雰囲気はぐっと変わる。がんばってほしいお店。
お店といえば、鞆の浦の夕食でおすすめしたいのが「おてび」。非常にくだけた雰囲気でカウンターに並んだ小魚料理が楽しめる。ラーメンもうまい。僕らは子連れでいったので、そこで飲んでた地元のおばちゃん達にたいそう話しかけられて楽しかったです。
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訪問
鞆の浦
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| 09.07.05
| (0)
三条蹴上のウエスティン都ホテル(部分)
2009/6/22〜28
6/24(木):
3年毎に受けねばならない建築士定期講習へ。会場は「都ホテル」。
2月に受けた管理建築士講習の会場は京都国際会館(設計:大谷幸夫)だった。
そして今回は「都ホテル」だというので、ほほぅ建築士事務所協会もオツな会場設定をするなぁ、講習の合間に植治の庭を見学できるかも、と楽しみにしていた。
家からも近く勝手知ったる場所なので、アクセスを地図で確認するまでもない。自転車でゆうゆうと三条蹴上にあるウェスティン都ホテル(設計:村野藤吾)へ。
ホテルに着いたのが朝8時半で、受付は9時までである。
めずらしく時間に余裕があったので外観写真など何枚か撮って、さて講習受付はどこかなと案内資料に目をやったのが、8時50分くらい。
しかし、どうもそこに書いてある地図の雰囲気が違う。都ホテルは複数の建物がつながったかなり複雑な平面形状なのに、そこには単純な四角が。もう少しよく見ると、地図には「都ホテル」ではなく、「新・都ホテル」と書いてある。
「新・都ホテル」は京都駅の南にある都ホテルチェーンの別ホテルである。あちゃー、とようやく気付いて、あわてて自転車に飛び乗り猛ダッシュ。三条から京都駅南口まで約12分で走り、受付にはぎりぎり間に合ったのだった。やれやれ。
三条蹴上の都ホテルの人工地盤
さて、なぜこんな勘違いをしたのかと反省すると、どうやら僕は、
① 管理建築士の講習が「京都国際会議場」だった
② そして今回の定期講習が「都ホテル」らしい(「新」を聞き落としている)
という二つの情報から、
③ 建築士講習の会場は、京都にある近代建築の名作を会場とするらしい
(主催者もなかなか気がきいてるじゃないか)
という結論を導き出してしまっていたようだ。
だから「都ホテル」ときいた時点で、それはもう蹴上の村野藤吾に違いないと思いこんでしまい、案内の資料を見てさえも気付かなかったのだ。なんとも。
講習そのものは9時半から17時半までぶっ続け。しんどいけれど、たまにはこういう勉強も悪くないとは思う。たまであれば。
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| 09.07.04
| (0)