究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

2010年02月: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/2010/02/
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アバター Avatar

まあ、いまごろなんですが、先月頭に『アバター』を見に行って来ました。
(映画館に行くのは、カーンの『My Architect』以来という…)

これからという人は、字幕版か吹き替え版か迷うと思うけど、僕としては吹き替え版をお薦めします。3Dだと字幕がやや読みづらく、せっかくの映像に集中できない。

ストーリーは、なんというか「ほどよい塩梅」。

『ダンス・ウィズ・ウルヴス』と『マトリックス』と『もののけ姫』(ナウシカも少し)が混ざった感じなんだけど、誰もが大事と思えるテーマが、腹が立つほどに単純ではなく、頭を悩ますほどに新奇だったり複雑でもなく、きちんと盛り込まれている。映像を堪能することに集中できる、さじ加減絶妙のストーリーでした。

で映像はというと、期待の3Dは思ったほどのインパクトはなかったものの、緑溢れる惑星の表現が、〈男の子ごころ〉をくすぐりまくります。
何百メートルにもそびえる樹々の梢を歩いたり、山が空に浮かんでたり、植物と通信できたり…。野生の竜に乗って空を飛ぶ、なんていう、子供の頃に『エルマーのぼうけん』シリーズを読んで以来の憧れが、これでもかと実写化(?)されていて、恥ずかしながら、感動しました。

やはり映画は「夢」を描いたものが一番。


蛇足ですが、インド文化がけっこう意識的にとりいれられてるのかな、と感じました。
「アバターavatar」がサンスクリット語起源だというのは有名な話で(たとえば、ヒンドゥー教においてブッダはヴィシュヌ神のアバター(化身)なのだ)、それと関係があるのかわかりませんが。
映画中、惑星先住民の言語で「見る」という言葉は、単に視覚的に「見る」だけでなく存在そのものを感じることだ、というような意味深げな語りがありますが、あれは、おそらくヒンドゥー教の「ダルシャン」という概念を意識しているのではないか。
「ダルシャン」という語は、ストレートに日本語に訳すと「見る」になり、神様や聖者に参拝することをいったりする。けれど、単に神様を「見る」だけでなく、神様に「見られる」ことでもあり、双方向の精神的感応の意味を含んでいる、というものだった(と思う。文献がすぐ見つからなかったので、すいませんがうろ覚え)。
そう考えると、惑星先住民の体が青いのも、あれはシヴァとかヴィシュヌの青い肌から来ているのでは…と。


さらに、蛇足。
僕らの世代で子供の頃にPCゲームやってた人、「アバター」と聞いてあの難解な名作RPG『ウルティマIV』を思い出さなかったですか?

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.02.28 | (0)

オープンハウスと鶴橋

Selimiye

先々週の土曜日(2/13)、ご近所の魚谷繁礼氏のところのオープンハウスで、昼間仕事を片付けてから、大阪の住吉へ。

個人住宅なので写真無しで書くけど、魚谷氏得意の構成的なつくりで、中心に畳の座敷があり、それを囲い込む廊下と縁側、その外周に深い庇が張り出して、その下が濡れ縁や個室になっている、という三層構成。
一方で、庇下の部分は居室も勾配天井にしてあって、日本建築の源流にある「母屋」と「庇」の関係を意識させる構成も特徴的だ。
最初、この入れ子構成と母屋/庇構成が結びついていなかったのだけど、よく考えてみると、両者は日本建築の歴史においてたいへん親密な関係にあるではないか。そうか、これは「寝殿造」なのだ!と思い当たった。
池のある広い庭に南面していることも、この推測を支持するのだけど。どうですかね、魚谷さん。深読み?

その後、森田一弥氏と鶴橋へ行って晩飯。
既にシャッターの閉まった鶴橋市場を徘徊し、これは、という直観の働いた韓国家庭料理の店に入る。カウンターに5人程でいっぱいの店。名前もしらない韓国のお総菜(ほとんどおまかせ)とマッコリでまったりとして、みやげにキムチを買って帰る。今度鶴橋に行くときには、また寄りたい店(店の名前は左下の写真参照)。

Selimiye Selimiye
右:
鶴橋駅構内にあったブックオフ。特設改札口つきで、電車がくる直前まで本が読める。商魂たくましい。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.02.20 | (0)

セリミエ Selimiye:Edirne, Turkey, 1996

セリミエ Selimiye:Edirne, Turkey, 1996

トルコのエディルネにある、ミマル・シナンのセリミエ(セリム2世のモスク)にて。

シナン(1489/1492〜1588)はキリスト教徒の出でありながら(A・スチールランによれば、彼はアルメニア人だったという)、オスマン帝国最盛期の建築家として生涯に数百の建築を設計した、史上稀に見る大建築家だ。しかもスルタン付建築家となったのは50歳の時で、最高傑作と呼ばれるもののいくつかは、80歳を超えてから建てられている。

シナンの時代は、日本では千利休(1522〜1591)、イタリアではミケランジェロ(1475-1564)という、これまた大芸術家が活躍した時代と重なっているのは興味深い。

selimiyeこのセリミエ(建設1570〜74)は、シナン80歳頃の作品。

オスマン・トルコの建築は、ビザンティン帝国の建築、とりわけハギア・ソフィアに大きく影響を受けている。大小のドーム・半ドームが組み合わさったトルコ式モスクのルーツは、ハギア・ソフィアである。

オスマンのスルタンは、これにコンプレックスを抱いていて、いつかハギア・ソフィアを超えるモスクをつくることを悲願としていた、そして、ついにこのセリミエでそれが実現した、というのが夢枕莫の『シナン』の物語るところである。

ただ、セリミエとハギア・ソフィア、両者の空間を体感してみると、そのような対抗意識はどうでもいいことのように思えてくる。むしろ、ほぼ同じ規模で、ほぼ共通の建築的ボキャブラリーを使いながら、ここまで雰囲気の異なった空間ができあがっていることに感動さえおぼえる。

edirne-mosque

暗い地上に雲間から光が射すかのようなハギア・ソフィア(右)。
対して、セリミエ(左)では多数の開口部からの柔らかい光が空間を満たしている。

ハギア・ソフィアの光は、神の偉大さ天国の荘厳さを想起させてくれる。しかし同時に、それは決して手に届かず、現世の人間はそれを垣間見られるにすぎないことも。畏怖と憧憬をかき立てるばかり。
けれどセリミエでは、光は羽毛布団のように優しくそこにいる人を包み、神と対面するこの空間こそが、今ここにある楽園なのだと感じさせてくれる。そこでは、此岸(日常)と彼岸(非日常)が溶け合っている。

冒頭に掲げた写真は、セリミエのほんの一角の一場面なんだけど、そのような(意外にも?)人に優しいモスクの性格を、よくあらわしているように思ったのでした。

下に絨毯が敷き詰めてあるというのも、モスクの優しさに一役かっていると思う。
日本では最近、住宅で絨毯が使われることは少なくなり(ダニの問題が大きい)、なんでもかでもフローリングだけれど、僕はけっこう絨毯が好きだ。柔らかな毛足の長い床に座り寝ころべる絨毯の心地よさは、畳ともまた違う。
床も天井も絨毯にくるまれた空間を、一度つくってみたいと、ずっと思っている。

Selimiye
セリミエのドーム見上げ

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 , SELECTED 選り抜き | 10.02.18 | (0)