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鴨川の増水: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/memo/000174.php
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鴨川の増水

増水する鴨川(五条大橋)

すっかり梅雨もあけて夏だけれど、宵々々山(14日)の雨はすごかった。
鴨川はこれまで見たことがないほどに増水し、川沿いの遊歩道を完全に水没させ、橋の下のハウス群を文字通り洗いざらいに押し流したようだ(ブルーシートにくるまった段ボールハウスがどんぶらこと流れていく瞬間を、一回だけ目撃した)。
twitterでは写真付き実況がとびかっていたらしい(すごい時代だ)。
>> 鴨川写真集

もうすぐで溢れそうな鴨川を眺めながら、川ってのは憩いの場とか交通のルートであるとかの以前に、都市にとっては不可欠な排水路なんだなぁ、という当たり前のことをしみじみと思っていました。
幸い今回は川が氾濫するに至らなかったけれど、川に許容量以上の水が流れ込めば、つまった便器から水が溢れるように、当然溢れるしかないわけで、その状況を想像しながら治水(pdf)の大切さを少し実感した雨でした。

うちの事務所からみた鴨川:平常時(7/21昼)と増水時(7/14朝)の比較

水位の上がり幅は2m程度だろうか。とはいえ、町と川の感覚的な距離はこの数字以上にぐぐっと近づいている。気持ちとしては、知り合いから恋人未満くらいには縮まっている。

そういえば、上の写真下の方に移っている公園下の擁壁には、高瀬川への古い取水口の痕跡が残っているのだが、その位置は、現在の鴨川の水面よりもかなり高い。道路のある地面のすぐ下だ(写真下:水門の石が擁壁に埋まっているのが確認できる。点線が推測される開口。詳しくは石田孝喜『京都高瀬川:角倉了以・素庵の遺産』参照のこと)。

鴨川の河床は、昭和10年の大水害後の河川改修で2m近く掘り下げられ、現在の高さになったというから、この取水口はそれ以前の水位にあわせて設置されていたのだろう。
初めてこれを見た時、昔の鴨川の水面がえらく上にあったことに驚いた。あまりに上なので、ほんま取水口だったんか?と疑ったくらいだ。でも、現在の遊歩道を流れるみそそぎ川の高さが改修以前の鴨川の高さだそうなので、そうなのだろう。
鴨川と町との距離が、いかに近かったかということに想像をめぐらせた。おそらく当時の町と川の距離は、現在の遊歩道と川くらいには近かった。

たとえば、丸太町付近の鴨川沿いにある頼山陽の山紫水明処は、とってもいい建築なんだけど、これが建てられた当時の鴨川(の一部)が、縁側の直下を流れていたという事実を知らないと、その魅力の何分の一かを味わい損なうだろう。
また現在の「河原町」からは想像もできない、処刑場であり悪所であった「河原」の怖さも。


(山紫水明処から鴨川方向を見る。昔は生け垣がなくすぐ川だったという)

というようなことはたぶん他にもいろいろあるはずで、川との距離感は、京都という都市の歴史、特にその空間的側面を考えるときに、かなり重要な問題と思われる。川は今もすぐそこを流れているため、つい現在の感覚で想像してしまいやすいだけに。

今回の増水での水位上昇は目測およそ2m(五条あたり)、昭和の河床掘り下げも2m。
というわけで、今回の大雨では、水量は別としても水面の高さについては、昭和初期の河川改修以前の鴨川が再現された、と言ってよいのだった。
(この上に大雨がふったら・・・)

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.07.21 | (0)

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