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北山杉雑感: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/memo/000183.php
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北山杉雑感

先週は、鷹峯で林業をされているYさんの作業場横につくられた、手製の川床での食事にお呼ばれしてきた。はじめての父娘2人での外出でもあり。

灼熱の市街地とまったく異なる冷涼な川の上で、お酒と鶏スキを堪能。北山杉をとりまく情勢の悪さなどが話題に。

北山杉の需要がふるわないのは、それが高級なだけでなく、現代の建築・住宅・生活においてなぜ北山杉か、という問題がちゃんと位置づけられてないからなのはハッキリしている。今の若い施主や設計者はモノの良し悪しがわからん、とかいう話ですませてたらいけない。
垂木専用に生産された(!)芯の詰まった北山垂木の、垂木以外の使い方とか、磨き丸太の表情をモダンデザインの中で生かす表現とか。「数寄屋」よりもう少しカジュアルな使い方があっていい。

北山杉と現代建築で思い浮かぶのは、たとえば篠原一男の「白の家」。

実際見てないのが残念なのだけど、あの柱は、たぶん皮付きの丸太でもケヤキの面取り角柱でも鋼管でもダメで、北山丸太の中性的な柔らかさ真っ直ぐさでなくてはいけないのだろう。北山丸太が、末口と元口の径が揃っていてシュっとしていることも、理由の一つと思う。それは、そうなるように育てられているからだ(普通、木は元口=根っこ側が太くなる)。

それにしても、径が揃ってること、絞りの表情、磨きのツヤ。どれを見ても、北山杉は「自然素材」とはいえ、極度に人の手がかけられ「人工素材」に近づいている。
むかし、不均質な自然素材を加工して、均一で平滑・光沢のある表情をつくることは、木でも土でも、高度な熟練技術が必要とされる最高級の仕上げだった。ところが、そういった表情をつくるのは機械が最も得意とするところであり、最も安価に生産できるものであった。たぶん大正〜戦後頃に起こったであろう、この価値観の転換を、伝統技術の世界はまだ受け止めきれていないと、僕は思う。ツルピカシャープでおされな「人工素材」と、ざらざらぐにゃりで和みの「自然素材」という素材観の単純な二極化の間で、北山杉も宙ぶらりんなのだ。

(蛇足で書くと、中谷礼仁は北山杉のこの両義性を「アンドロイド」と呼び、そこにアンドロギュノスなエロスを見ていた(「建築MAP京都」のコラム)。個人的には同意する感覚だけど、一般化はしづらいなあ)

こう書いてると、なんかいろいろ使えそうな気がするのだけど。
北山杉を生かした建築をつくるなら、むしろ逆境の今がチャンスですよ、お施主さん!

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.09.16 | (0)

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