究建築研究室 Q-Labo.
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MEMO 雑記・ブログ
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北山杉雑感

先週は、鷹峯で林業をされているYさんの作業場横につくられた、手製の川床での食事にお呼ばれしてきた。はじめての父娘2人での外出でもあり。

灼熱の市街地とまったく異なる冷涼な川の上で、お酒と鶏スキを堪能。北山杉をとりまく情勢の悪さなどが話題に。

北山杉の需要がふるわないのは、それが高級なだけでなく、現代の建築・住宅・生活においてなぜ北山杉か、という問題がちゃんと位置づけられてないからなのはハッキリしている。今の若い施主や設計者はモノの良し悪しがわからん、とかいう話ですませてたらいけない。
垂木専用に生産された(!)芯の詰まった北山垂木の、垂木以外の使い方とか、磨き丸太の表情をモダンデザインの中で生かす表現とか。「数寄屋」よりもう少しカジュアルな使い方があっていい。

北山杉と現代建築で思い浮かぶのは、たとえば篠原一男の「白の家」。

実際見てないのが残念なのだけど、あの柱は、たぶん皮付きの丸太でもケヤキの面取り角柱でも鋼管でもダメで、北山丸太の中性的な柔らかさ真っ直ぐさでなくてはいけないのだろう。北山丸太が、末口と元口の径が揃っていてシュっとしていることも、理由の一つと思う。それは、そうなるように育てられているからだ(普通、木は元口=根っこ側が太くなる)。

それにしても、径が揃ってること、絞りの表情、磨きのツヤ。どれを見ても、北山杉は「自然素材」とはいえ、極度に人の手がかけられ「人工素材」に近づいている。
むかし、不均質な自然素材を加工して、均一で平滑・光沢のある表情をつくることは、木でも土でも、高度な熟練技術が必要とされる最高級の仕上げだった。ところが、そういった表情をつくるのは機械が最も得意とするところであり、最も安価に生産できるものであった。たぶん大正〜戦後頃に起こったであろう、この価値観の転換を、伝統技術の世界はまだ受け止めきれていないと、僕は思う。ツルピカシャープでおされな「人工素材」と、ざらざらぐにゃりで和みの「自然素材」という素材観の単純な二極化の間で、北山杉も宙ぶらりんなのだ。

(蛇足で書くと、中谷礼仁は北山杉のこの両義性を「アンドロイド」と呼び、そこにアンドロギュノスなエロスを見ていた(「建築MAP京都」のコラム)。個人的には同意する感覚だけど、一般化はしづらいなあ)

こう書いてると、なんかいろいろ使えそうな気がするのだけど。
北山杉を生かした建築をつくるなら、むしろ逆境の今がチャンスですよ、お施主さん!

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.09.16 | (0)

ちび2号と英語レクチャー

いくつかまとめて報告とか。

今月の頭、ちび2号が無事誕生。今度は男です。
ちび1号は女の子だったので、父親に似てブサイクに育ったり愛嬌がなかったらどうしようとか、生まれた時にはそれなりに心配したのですが、今回は勝手知ったる男なので、どのようにでも育ってくれと、はなから気楽です。
2歳になるちび1号とあわせて、一気に家の中がさわがしい。

その3日後くらいに、JICA大阪にて、アジア諸国から来ている研修生を対象とした「歴史都市の保全と観光:ヴァーラーナシーのばあい」と題したレクチャーを英語でしてきました。

そもそもは7月末頃、ある先生から『生きている文化遺産と観光』に書いた内容を英語で話してほしいとの依頼があったたため。英語の発表はまだしも、レクチャーはまったくの未経験にもかかわらず、7月の国際会議で英語力のなさを痛感した直後の話だったため、何事も勉強・経験などと殊勝なことを考えて引き受けてしまった。
当日、必死で準備したレクチャーの反応はそこそこ。質疑は(こっちは通訳があったので気楽)それなりに盛り上がったけれど、いまひとつお互いの関心のズレを縮めきれなかった印象。うーむ。
研修生たちは、実はみんな文化遺産行政の担当者であったため(それを知らされたのが当日だった。てっきり学生が相手と思っていたのだ)、彼らの関心は本国で抱えているであろう課題に応える実践的内容にあったのだ(質問もそこらへんに集中した)。いっぽう、僕の基本的関心はどちらかといえば制度の枠からハミ出た自律的な現象にあるので、その点は調整が必要だった。いろいろ反省。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.09.15 | (0)

高瀬川の渇水

水の無い高瀬川

鴨川の大増水からひと月半、今度は雨が少なくて高瀬川が完全に干上がってしまいました。いいことではありませんが、せっかくの機会なので、河床を歩いてみました。

橋をくぐる。
道からたかが1m下がるだけですが、視点の変化がけっこう楽しい。

保育園からの帰りに歩きました。車も通らず安心。チビおおはしゃぎ。
ただし何故か、陶器やガラスの破片がたくさん落ちていたので、水があるときでも裸足で入るのはやめた方がよさそう。

五条通下の空間。さすがに怖い。
五条通が高瀬川を超える橋を五条小橋という。しかし、ほとんど道路と一体化してるので橋があることにも気づかない。が、下からみるとちゃんと橋だ。

五条通以北も珍しく水が無い。
(高瀬川は五条以南で涸れていても、五条以北では水があることが多い。観光的配慮だろう。たぶん五条通の下に水門があるのだ)

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.08.31 | (0)

沐浴:ラーメシュワラム Rameswaram, India, 2007

沐浴:ラーメシュワラム Rameswaram, India, 2007

96〜97年の旅行シリーズはちょっと中断して、夏向けの写真をセレクト)

インドの四方を押さえる四つの聖地「四大神領(チャトル・ダーマ)」の一つ、インド最南端に近いラーメシュワラムにある寺院の境内には、御利益のある井戸水を浴びに、全国からの巡礼者が列をなす。


順番がくると、バケツを持った係の人が大胆に対応してくれる。
写真で水をぶっかけられて沐浴しているのは、はるばるカルカッタから来たという若い女性。傍らに心配げなご主人。

沐浴:ラーメシュワラム Rameswaram, India, 2007

ラーメシュワラムについては、後日補足します。(→その2

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 10.08.20 | (0)

窓辺のアサガオ

窓の外のアサガオ

高僧と袈裟』が楽しみなヒショです。

昨年の今頃、5階にある事務所の窓の外にはアサガオが咲いていました。
所長が「窓の外に花が咲いてたら楽しいじゃん(横浜風)、日除けにもなるし」といって、ベランダの鉢から頑張って3〜5mも誘引して、写真のように花が咲くまで成長したのですが・・・

この後、紐がぷちっと切れて、アサガオは下の階までデローンと垂れ下がってしまいました。
ネットをつければよかったのですが、それは大げさだろうというのと、思い立ってその日に作業したため、ありあわせのビニール紐を使ったのがよくなかったようです。
空中で咲いてる姿が可愛らしかったので残念でした。
(日除けには全然なってませんでしたけど)

所長は「アサガオは水平方向に伸びてくれないことがわかった。いちいち手で巻き付けて誘引するのが面倒だった。次回は別の植物で挑戦したい」と語っています。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.08.18 | (0)

上田秋成展@京都国立博物館

京都国立博物館(現在リニューアル工事中)

映画『雨月物語』の野外上映につられて、五条に引っ越してきてからご近所にもかかわらず初めて(京都に来てからも3度目?)の京都国立博物館、「上田秋成展」へ行ってきた。

上田秋成は当然「雨月物語」しか読んだことないので、手紙とか直筆本とかの人物にまつわる地味な展示はあまりピンとこない。なんで筆でこんなにキレイに○が書けるのかなぁ、とか思いつつそぞろに眺める。

・・・というような来館者に一定の満足感を与えるためであろう、展示の最後には「秋成ゆかりの京の画家」と題した、伊藤若沖(1点だけ)・円山応挙・与謝蕪村といったビッグネームが並ぶコーナーが用意されていた。展示されている絵そのものと上田秋成とは、全然関係がない。企画者の苦労がうかがわれる、と言ったら余計なお世話なのだが、なんだかんだでこれが見応えがあったのだった。企画者さすが。

中でもよかったのが、円山応挙の「龍門図」三幅(右図)。日本画は全く疎いのだけど、これを観られただけで今日は来た価値があった、と思えるものでした。すごい。

夜になってから中庭にて『雨月物語』(53年/溝口健二)鑑賞会。
プロジェクターでなく、映写機をカラカラと回していた。石畳に熱が蓄えられていて、床暖房の上にいるように暑かったけれど、映画は楽しめました。
幻想的な映像の美しさはもちろんのこと(朽木屋敷のセットがたいそう綺麗だった)、まじめに働くのが一番やなぁという励まされるような寂しいような余韻が残る(あと、嫁さんに優しくしようという気になる)名作です。

ところで、京都国立博物館では10月に『高僧と袈裟』という企画展があるようです。
意表を衝くマニアックな企画だなあと思っていたら、ヒショが「わたし袈裟好きなのよねー、行きたいわー」などとつぶやいている。そうですか。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.08.11 | (0)

ブダペストの彫刻 Little Princess:Budapest, Hungary, 1996

ブダペストの彫刻 Little Princess:Budapest, Hungary, 1996

ブダペストの線路沿いでたまたま出会った彫刻。
はじめ遠目に見て、本当に子供が柵に腰をかけているのかと思った。
街にある銅像とか彫刻って「どうだっ!」感があまり好きではないのだけど、こんな風に、街に融け込みつつさりげない違和感を発する佇まいはいいねえ。建築も同じだけど。

童話等(幸福な王子を一瞬思い浮かべた)からモチーフをとったのかと思ってたが、調べてみると、作者の娘がモデルとか。女の子とは気づかなかった。

>> 日本語での紹介

"Kiskiralylany Szobor" あるいは "Little Princess László Marton" などで調べると詳しい場所とかでてきます。

| MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 10.07.31 | (0)

ダラヴィという「スラム」

みんぱく行くといつもこれ。太陽の塔は後ろ姿がかわいい

7/18-20の三日間、国立民族学博物館にて行われた国際会議に出席する。
自分の英語のまずさを改めて自覚することとなり反省しきり。そんなわけで、会議に貢献できたかどうかは甚だ怪しいけれども、インドでもイギリスでもやられてないヴァーラーナシーに関する研究を、初めて英語で公表できたことはよかった。いくらかお褒めの言葉ももらったので、多少役に立ったと思うことにする。

会議の中で、デリー大学のR. Chatterjeeさんという社会学の先生の、ムンバイのスラムに関する論文にちょっと長いコメントをさせていただいた。内容は割愛するけど、僕はこの論文を読んで初めて「ダラヴィDharavi」という場所の存在を知った。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.07.27 | (0)

初めての山鉾巡行

新町四条にて月鉾(?)

今年の祇園祭は、宵々々々山から宵山までずっと雨だったが、巡行の日の朝に梅雨が明けた。
ようやく晴れたので嬉しくなり、京都に住んで16年にして、初めての山鉾巡行見物に行ってきた。ものすごい人混みを覚悟していたが、宵山等の夜に比べるとずっと人出が少ない。こんな間近で見られるとは知らなんだ。

船鉾。家形・箱形の山鉾が主流の中で、船形を選んだセンスがすてきだ。
鉾への乗り込み口は、まさにタラップの風情。

屋台とビールが無いのが致命的ではあるが、山鉾を飾る刺繍や織物を明るい中で見られるのは、昼間のよさだ。
巡行の日以外は装飾を外している山鉾も多いらしい。巡行中は近くに寄れないので、本番向けのフルスペック山鉾をじっくり見られる時間は、実は短いよう。巡行を終えて自分のホーム町に帰ってきてから、解体されてしまうまでの数十分が狙い目だ(初めてのクセに偉そうですが)。

山鉾に釘を使わないのは、組立/解体を繰り返す中で、釘よりも柔らかい木材が痛むことを避けるためだろう。その点、縄は木よりも柔らかいし、力がかかった場合も、縄が伸びたり切れることでエネルギーを逃がし、本体への負担を少なくするのだと想像される。
この縄仕事(「縄絡み」というらしい)には、単体の強度が足りなけりゃ数を増やせばよい、という素朴な思考がみなぎっていて、それがデザイン的な面白さにつながっている。結び方の一つ一つは、たぶんそれほど合理的なものではないと思う。が、それでいいんじゃないか。「最適化」ではなく、ルーズさを含む「適当化」の方が、おそらく人にもやさしい。

しかし縄の使用については、なんといっても縄は米の副産物であり、米を神聖視する日本文化において特別な存在であるという、文時代以来続く文化史的背景が大きいだろう(注連縄を想起せよ)。
祇園祭は疫病除けが起源というが、そこに豊作祈念が含まれていないはずはなく、また近世町衆の祭としても、町衆の経済基盤は一次生産物の米にあったわけだから、ここで縄を使わずにどうするという話だろう。

たぶん辻回しの時に車輪下に差し込む道具(名前不明)

左:山についている松も解体されていた。
右:帰りにポチテック戸田さん「関西の手仕事」+4展にお邪魔する。こないだテレビでやってた子供イスがあった。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.07.22 | (0)

鴨川の増水

増水する鴨川(五条大橋)

すっかり梅雨もあけて夏だけれど、宵々々山(14日)の雨はすごかった。
鴨川はこれまで見たことがないほどに増水し、川沿いの遊歩道を完全に水没させ、橋の下のハウス群を文字通り洗いざらいに押し流したようだ(ブルーシートにくるまった段ボールハウスがどんぶらこと流れていく瞬間を、一回だけ目撃した)。
twitterでは写真付き実況がとびかっていたらしい(すごい時代だ)。
>> 鴨川写真集

もうすぐで溢れそうな鴨川を眺めながら、川ってのは憩いの場とか交通のルートであるとかの以前に、都市にとっては不可欠な排水路なんだなぁ、という当たり前のことをしみじみと思っていました。
幸い今回は川が氾濫するに至らなかったけれど、川に許容量以上の水が流れ込めば、つまった便器から水が溢れるように、当然溢れるしかないわけで、その状況を想像しながら治水(pdf)の大切さを少し実感した雨でした。

うちの事務所からみた鴨川:平常時(7/21昼)と増水時(7/14朝)の比較

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.07.21 | (0)

サプンツァの墓:Sapinta, Romania, 1996

サプンツァの墓:Sapinta, Romania, 1996

Text coming someday... [Săpânţa]


| MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 10.06.29 | (0)

アトス山の修道院 Mt. Athos:Greece, 1996

アトス山の修道院 Mt. Athos:Greece, 1996

アトス山については、訪問当時に記したメモとスケッチが残っていたので、せっかくなのでそれに基づいて書こう(すべて96年当時の情報に基づいており、正誤の確認はしていないことに注意されたい)。
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Mt. ATHOS

ギリシャ北部・テッサロニキの東の方、三本細長くつきでているハルキディキ半島の東端、アトス山とはこの半島の先端部にある山の名前なのだが、一般的にはこの半島全土を含む聖域を「アトス山(ギリシャ語でアギウ・オルス)」と呼んでいるようだ。
この半島がそのままギリシャ正教(Orthodox)の聖地として、一種の自治区(?)となっている。だからそこに「入国」するには、アテネで特別許可をとらねばならない。アテネの外務省でもらった許可書を持って、半島の付け根の町ウラヌポリスにあるアトス聖庁の出先機関で入山証明証をもらう。これでようやくアトス山行きの船にのれる(ただしアトスは女人禁制の地であり、女性は決して入れないという)。このアトス聖庁で3000ドラクマ払うと、アトス山の修道院では宿泊・食事がすべて無料でうけられる。

mtathos.jpg

さてアトス山へは、ウラヌポリスから船に乗り、ダフニという港から「入国」する。アトス山内にはダフニから中心都市カリエまでバスが一本走っているだけで、後はすべて徒歩、もしくは船による移動となる。しかも滞在期間は4日間と限られているので、計画的に移動しなくてはならない。
アトスを訪れた際まず印象的であったのは、人の手がほとんど加えられていない自然が、これだけ広範囲に、しかも人が住んでいながら、残されている様子である。そんな中、アトス山には主要な修道院が20あり、ほかに数え切れないほどの個人の修道士による小屋や家があるという。特にアトス山山麓には、まさに自給自足の生活をする修道士がたくさんいるのだそうだ。

僕が訪れることができたのは、ディオニシオスDionysiosグレゴリーGregoryシモノス・ペトラSimonos Petras、それにクトゥルムシウKoutloumousiouの4つの修道院だけであるが、アトス山の美しくも険しく自然の中に建つ修道院の姿と、そこに暮らす僧たちの生活を垣間見られたことは、この上なく素晴らしい体験であった。

彼らの生活は、ディオニシオス修道院の僧の説明によれば、まず夜中の1時に起き、教会で3時間の祈りを行う。これが最も重要な祈りであるらしい。そして朝6時から8時半ころまで、また祈りの時間があり、その後食事。食事は一人の僧が何やら説教のようなものを話している間のみ許される(だいたい15分くらいか)。それからしばらく休憩(?)があり、夕方3時ころより、また教会へ。その後4時過ぎくらいに食事をとり、日没とともに床につく。修道院を訪れる僕らのような旅行者も、修道院に滞在している間は、この生活に従う(夜中1時の祈りは眠くて仕方ない)。まさに祈りの合間に生活があることがわかる。

真っ黒の衣に身を包み、豊かにヒゲをたくわえて神秘的なムードを漂わせる修道士たち。彼らの一人は「心の目を開き、神と対話するのだ」と事もなげに言っていた。そのために、機械や車、欲望の渦巻く世界から遠く離れて過ごすのだと。「神と対話」というのは、正直まだよく分からない。たぶんそれは一種の内省行為なのだ、と理解できる程度。人の思考や振る舞いは環境に強く規定されるから、こういった地を内省のための場所として選ぶのは納得できる。町中にあっても、そのための別世界をつくる必要があるのであり、それが建築の役割なのだ。

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シモノス・ペトラ修道院の建築(冒頭の写真も)
石組みでつくられた外壁の外側に木で組んだバルコニー状の廊下が廻り、眼下にはエーゲ海が広がる。廊下では、ベンチで修道僧たちが日向ぼっこしていたり、洗濯物を干してたりする。

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最後に、アトス山の修道院で忘れられないのが食事である。ギリシャ滞在中ずばぬけて美味しい食事であった。ギリシャの食事は、正直にいうとあまり美味しくなかったのだが、そのギャップを差し引いてもだ。食事はどこでも一日二回で、メニューは主菜(魚のムニエルが多かった)にサラダ、フルーツ、そしてワイン。このワインは修道院で作られたもので、ギリシャで一番美味しいワインなのだそうだ。確かに美味かった!

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 10.04.27 | (0)

五条以南の高瀬川2:ハーブ

笹にまじったミント

五条以南の高瀬川の植物についての第2弾。
前回の記事では、主に中高木から低木・灌木について書きましたが、もう少し下に目を向けてみると、ハーブの類も発見できました。

上の写真はミント。笹にまぎれて、完全に野生化している様子。
ミントは雑草以上に生命力が強いらしく、一度でも庭に植えたら最後、二度と駆逐することができないくらい繁殖力があるそうな。このミントもどっかから逃げてきたのだろうか。

山椒

こちらは山椒。
山椒は、以前ベランダ鉢植えで栽培を試みたことがあるけど、あっというまに虫にやられてしまったのだった。
ここでは元気よくフッサフッサに茂っている。
さっそく筍の土佐煮に使わせてもらった。

ドクダミ。ま、これもハーブの一種。

あと、バジルとシソ、香菜(シャンツァイ)にローリエ、ついでにイタリアンパセリぐらいあると、だいぶありがたいなぁ。保育園帰りにちょっと摘み取ったりして。
バジルは鉢植えでもよく育つが、シソと香菜(シャンツァイ)は鉢で何回か失敗した。
高瀬川の岸辺で栽培してやろうかしら。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.25 | (0)

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