究建築研究室 Q-Labo.
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MEMO 雑記・ブログ
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鞆の浦4(まなざし)


鞆の浦について第4回(最終回)。

ところで最近、ヴァーラーナシーの「観光」についての原稿を書いており、その過程でいわゆる「観光学」の文献に何冊か目を通している。その中の一つ「『観光のまなざし』の転回」の中に、鞆の浦を扱った一章「創出された『観光地』:鞆の浦、二見ヶ浦にみる海景名所の近代」(著:川島智生)をみつけた。

それによると、鞆の港としての衰退は、明治半ばの鉄道開通と船舶スタンダードの転換(鞆の浦の水深では対応できない西洋船への転換)が決定的であり、港湾都市としての存続が危うくなった鞆の町は、その生き残りを「観光」にかけることになる。
本書には、大正から昭和の国立公園指定に至るまで、鞆の官民が一体となって、景観整備や観光インフラ整備、地域イベントの創出に邁進したことが描かれている。
現在まで続く「鞆の浦」という観光地のイメージ、つまり鞆に向けられる「観光のまなざし」は、このような流れの中で目的意識的に創り出されたということである。

また本書では、昭和30年代に対潮楼の足下まで続いていた岩礁を埋立てて広幅の幹線道路が建設されたこと、それによって鞆を代表する海景、すなわち「波しぶきのあがる岩礁と石垣、木造建築という三点セット」からなる「天然美と人工美の調和すこぶる妙」が失われたことにも触れられている。そして地形と対応した町の構造もまた一部失われた。
それはモータリゼーションの浸透というだけでなく、戦前期に鞆へ向けられていた「まなざし」が、この時期には変質していたことも意味するのだろう。
(上掲写真:戦前期の対潮楼、下:現在の対潮楼。上写真の右下の海あたりからのアングル)

いま鞆の浦はポニョや架橋問題をバネとしながら、「観光のまなざし」の再構築に取り組んでいる。
対潮楼下の埋立は、もちろん当時としての様々な判断の結果だろうが、現代の視点(まさに「まなざし」)から見ればやはり、残念なことに思われる。失われた独特の景観や町の構造は、観光資源としても、間違いなくかけがえの無いものであったはずだ。

このことは鞆をめぐる言説の中であまり触れられてないようだけれど、現代の架橋問題にとっても示唆に富む出来事ではなかろうか。くだんの橋は、対潮楼下の幹線道路を延長する形で架けられるのである。
「まなざし」とは要はモノの見方であるから、いくらでも作り直すことができる。地形や町は、なかなか難しい。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.07.06 | (0)

鞆の浦3(太田家住宅と町の建築)

太田家住宅の蔵の裏側の腰に貼られていた板。たぶん古い舟板を貼り合わせたもので、とても魅力的な表情になっている。


2009/4/23〜25

だいぶ間があいたが、鞆の浦の第3回。今回は太田家住宅と町の建築。

太田家住宅


漆喰のタタキ(ピシャンのような表情)と瓦の市松になった土間。すごい精度である。石張りでこういう市松はよくあるけど、色だけでなく表情の差もあるところが、もう一つ上のデザイン。



太田家住宅の蔵。いやーかっちょいい。漆喰と瓦と板壁のバランスが絶妙な、モダンアートのように美しい立面構成。倉敷の蔵もよかったけど、こっちの方がいいかも。軒やけらばを曲面で処理してるところも面白い。こういう家、つくりたいねえ。


座敷にて。広いのでチビが大喜びでハイハイしていた。


御舟宿いろは


まちづくり団体の方々が、使われなくなった町家を再生した旅館。全体のイメージは宮崎駿監督のスケッチに基づくという。リンク先のムービーを見てたら、「繭 mayu」の時のことを思い出しました。
残念ながら宿泊はできなかったけど、コーヒーとケーキを頂き、鞆まちづくり工房の松居秀子さんに少し話を伺うことができた。


@CAFE


常夜燈のすぐ横にある手作り感満載の町家カフェ。雁木の前に机と椅子を出してお茶(とかビールとか保命酒のミルク割り)が飲めてとても気持ちよい。長期滞在してたら間違いなく入り浸ってしまうタイプの店だ。こういう店がいくつかあると町の雰囲気はぐっと変わる。がんばってほしいお店。

お店といえば、鞆の浦の夕食でおすすめしたいのが「おてび」。非常にくだけた雰囲気でカウンターに並んだ小魚料理が楽しめる。ラーメンもうまい。僕らは子連れでいったので、そこで飲んでた地元のおばちゃん達にたいそう話しかけられて楽しかったです。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.07.05 | (0)

都ホテルで建築士講習

三条蹴上のウエスティン都ホテル(部分)

2009/6/22〜28

6/24(木):

3年毎に受けねばならない建築士定期講習へ。会場は「都ホテル」。

2月に受けた管理建築士講習の会場は京都国際会館(設計:大谷幸夫)だった。
そして今回は「都ホテル」だというので、ほほぅ建築士事務所協会もオツな会場設定をするなぁ、講習の合間に植治の庭を見学できるかも、と楽しみにしていた。
家からも近く勝手知ったる場所なので、アクセスを地図で確認するまでもない。自転車でゆうゆうと三条蹴上にあるウェスティン都ホテル(設計:村野藤吾)へ。

ホテルに着いたのが朝8時半で、受付は9時までである。
めずらしく時間に余裕があったので外観写真など何枚か撮って、さて講習受付はどこかなと案内資料に目をやったのが、8時50分くらい。
しかし、どうもそこに書いてある地図の雰囲気が違う。都ホテルは複数の建物がつながったかなり複雑な平面形状なのに、そこには単純な四角が。もう少しよく見ると、地図には「都ホテル」ではなく、「新・都ホテル」と書いてある。

新・都ホテル」は京都駅の南にある都ホテルチェーンの別ホテルである。あちゃー、とようやく気付いて、あわてて自転車に飛び乗り猛ダッシュ。三条から京都駅南口まで約12分で走り、受付にはぎりぎり間に合ったのだった。やれやれ。



三条蹴上の都ホテルの人工地盤


さて、なぜこんな勘違いをしたのかと反省すると、どうやら僕は、
① 管理建築士の講習が「京都国際会議場」だった
② そして今回の定期講習が「都ホテル」らしい(「新」を聞き落としている)
という二つの情報から、
③ 建築士講習の会場は、京都にある近代建築の名作を会場とするらしい
 (主催者もなかなか気がきいてるじゃないか)
という結論を導き出してしまっていたようだ。
だから「都ホテル」ときいた時点で、それはもう蹴上の村野藤吾に違いないと思いこんでしまい、案内の資料を見てさえも気付かなかったのだ。なんとも。

講習そのものは9時半から17時半までぶっ続け。しんどいけれど、たまにはこういう勉強も悪くないとは思う。たまであれば。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.07.04 | (0)

篠山・とらや・俄

篠山にて。伊豆の某旅館の座敷に使うという赤土

2009/6/15〜21

6/18(木):

この日からT邸の外壁左官工事がはじまる。
それに先だって久住鴻輔氏が納まりの打合せを朝イチにしたいというので、「じゃあ9時には現場行きますわ」と言ったら、「すまんけど左官屋の朝イチは7時半なんや〜」とのことで、久々に6時起きで現場へ。

T邸現場にはいつも自転車で五条から鴨川を遡っていくのだけど、早朝は格別気分がよろしい。
さて打合せは9時前に終了したが、久住氏に誘われ、そのまま丹波篠山にある久住章さんの別荘へ遊びに行く。こちらの別荘は2005年以来2度目の訪問。曲面の左官壁が縦横に絡み合った不思議な建築で、ものすごっく面白い上に、現代建築に対する批評性もあわせもってるんだけど、残念ながらどこにも発表されていない(ので、ここでも写真掲載は控えます)。
荷物運びを少し手伝った後、倉庫でお茶しながら雑談。最近の左官界事情などなど。
「不景気やからって暗い顔してたら人が離れていく。無理しても明るうせんと」。


昼頃に久住(鴻輔)氏のトラックで京都に戻ってくる。折角なので何か見て回ろうと、この間mndブログで紹介されてた巨匠作品2件を(久住左官の2tトラック、しかも材料満載で)見に行く。
どちらも、この不況下に新社屋建設というのは素晴らしい。

一つ目は一条烏丸、内藤廣設計のとらやへ。

菓子を販売してる店舗かと思って入ったら、いきなり西洋人のウェイターに席へ案内されたので少々驚いた。折角なので庭の席へ。
特徴的な断面形状の垂木が連なる庇の下で、赤い羊羹と抹茶ナントカ(色の取り合わせがよいね)。広々とした庭が気持ちよいけど、ちょっとスッキリしすぎかなという印象。たぶん建築設計の人が図面を引いたんだろうと想像するが、建築の方が非常にシャープなつくりなので、庭の方はもう少し自然な感じに崩してもよかったように思う。
素材や細部のデザインもあちこち見応えがあった。担当が大学の同級生なので、今度じっくり教えてもらいたいもの。
あと、建築と関係ないけど、外でくらいタバコ吸わせてくれてもいいじゃないか。茶店なんだから。


続いて富小路三条、安藤忠雄設計の俄(にわか)へ。
下鴨の店舗(高松伸設計)には、結婚指輪を見に行ったことがある(笑)

ファサードには、にょんにょんにょにょーん、とばかでかい庇が4つ飛び出ている。
これは、景観条例の「とにかく庇を出しなさい」という杓子定規な規定に対して、従いつつも揶揄してるのだと理解した。だとすれば大人の態度として「面白い」(「本気で景観に配慮」だとしたらアレだが…)。
中にはいって「見学です」と正直にいったら、店員さんがにこやかに対応してくれた。写真もOKをもらった。いつもながらブレのないド直球の安藤イズム。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.28 | (0)

T邸ちゃくちゃく進行

鉄管切断中

2009/6/8〜14

T邸ではところどころ仕上がった部分もでてきた。

上の写真は直径80mmの亜鉛メッキ鋼管(通称:白ガス管)をサンダーで切ってるところ。2階キッチンの排水を基礎下へ抜く排水管のカバーとして使うもの。

当初1階には天井が貼られる予定だったのだが、コスト調整の中で浴室廻りを除き天井をとっぱらったため、この排水管が露出することになったのだった。壁内に納めることやステンレス、アルミ等も検討したけど、素材感とコスト面のバランスで白ガス管に決定。玄関脇に、なんだか床柱のように立ってきます。

玄関框を取付る棟梁。玄関框にはいろいろな木が使われるけど、ここではタモ。
T邸は木造なのでもちろん色んな種類の木を使ってる。その中で最も目につくのは、床に使うメルバウという赤みの強い木材と、ほとんどが現し(あらわし)となってる柱のヒノキ、それに梁や窓枠の松。で、これらと馴染みのよい質感と色をもつタモを、建具や框などの要所要所に使っている。控えめだけどしっかりした存在感がある。

階段も手摺(塗装前)が入って形が見えてきた。
屋根もほぼ完成。この地区は景観条例で、屋根は原則として日本瓦葺きにしないといけない。でもT邸は平面形状が変形のため、瓦だけで納めるのはちょっと厳しい(技術的には可能。コスト的につらい。役物を作らないといけないので)。なので、一部に金属板を併用した腰葺きとしている。腰葺きは数寄屋でもよく使われる手法で、景観条例の主旨上も問題ないはずだが、これを認めてもらうだけでも役所でかなり時間を使ったのだった。

屋根の上で瓦屋さんと小一時間話をして、三州瓦がJIS規格になった話や京都の瓦の話、屋根裏結露の話などをいろいろ教えていただく。こういう現場での勉強は嬉しいもの。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.27 | (0)

花田先生論文・坂本一成講演会

2009/6/1〜7
その他の出来事のメモ。

6/2(火):
7月末に締め切りのある原稿のプロット制作にようやくとりかかる。インドの話なんですが。あれこれ必要な資料などを考えていたら、神戸芸工大に置いてある資料をとりに行かねばならないことが判明。

6/5(金):
ということで、久方ぶりに神戸、芸工大へ。いまさらながら遠い! 助手時代はよくも毎日通ってたものである。

芸工大には研究員として籍(と席)があるので、部屋の一画に研究関係の資料も置かせてもらってる。山積みされた段ボール箱十数箱の中から、今回の原稿書きに必要な資料を発掘し、紙袋二つ分ほど持ち帰る。
この段ボール箱、今年度いっぱいで引き上げないといけないのだが、どうしよう。どう考えても今の事務所(家)には納まらないぞ。

資料探しの合間に、花田佳明先生のところへお邪魔して、制作中の坂倉準三展の模型「正面のない家」を見せてもらう(その精巧な作りについては花田先生のブログに詳しいです)。「正面のない家」は、一つのシステムというかルールが貫徹されてるところが、見ていて気持ちよい。ルーバーがかかる室内化された庭と室内のバランスは建蔽率(50%)で決まっているそう。ただ、こういう敷地全体を囲い込んだ中庭形式では、市街地の過密化を防ぐという意味での建蔽率制度は機能していないのが、少し気にかかる。

花田先生から博士論文「建築家・松村正恒に関する研究」をいただく(サインもらうの忘れた)。論文要旨のマンツーマン・レクチャーまで受けてしまった。ありがとうございます。
研究は、松村正恒という建築家(の人生)を通して日本における近代建築の受容と展開の一断面を描いてしまう、緻密かつ壮大な研究だ。いいなあ、こういうの。物書きのロマンだよなあ。熟読はこれからです。

8月1日には日土小学校(松村正恒設計)の改修記念見学会があるそうです。
これは予定にいれておこう。


6/6(土)
6/3〜5日と時間を使ってた別件(公表できないのですが)の作業が一区切りついたので、T邸現場打合せの後に、京都造形大での坂本一成氏講演会に行く。前の週のアーキフォーラムは行きそびれたのだが、ご本人が、今回はアーキフォーラムの内容にさらに説明を加えたと言ってたので、ラッキー?
自身の方法論に(たとえ後付けであれ)徹底的に自覚的であることをとても大事にする姿勢が、藤村龍至氏の活動などとオーバーラップしつつ印象的だった。
建築の「形式」と現実の矛盾や対立にこそ、建築の可能性や魅力があるという話(と僕は理解した)は、僕自身大いにうなずくところ。でも、坂本氏のスタート地点が篠原一男(すさまじく「形式」に力のある建築)であることを考えると、僕の理解ほどには単純ではないだろうなとも思う。

講演会の後は造形大の近所の「アナベル・リー」へ久々に顔をだして雑談。途中水谷氏を呼び出し、その後は神楽岡へも久々に。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.26 | (0)

宇治へ

宇治川。鴨川より川幅も水量もあり、周囲に山が重なるように広がっていて、とても気持ちよい。

6/7(日)

天気がよいので、ふと思い立ち午後から宇治へ。

最近、『源氏物語』(与謝野晶子訳。と副読本として「あさきゆめみし」)を読んでいたので、まずは源氏物語ミュージアムへ行ってみる。外観のモチーフはなぜか唐破風のようであった。
いろいろな解釈でビジュアル化されてる展示は単純に楽しめるけど、わかりやすさ重視で奥行きが今ひとつ。まあ、源氏物語関係で見応えのある一次史料や美術品は、みんな国宝クラスであちこちの博物館蔵だろうから仕方がないか。
でも、もう少し展示や企画に工夫の余地がありそう。たとえば、源氏物語をテーマとする若手の研究者やアーチストは、たぶん今でもたくさんいるはずで(僕の知り合いでも、源氏物語にでてくる葦手文字の研究で博士号をとったフランスの方がいる)、そういう人たちの成果や作品を活かした企画などしてもよさそうだ。

その後、現存最古の神社建築といわれる宇治上神社へ。
ここの本殿はちょっと変わったつくりで、三つの小さな社が、一つの大きな建物=覆屋(おおいや)に内包されている。もともと独立して祀られていたであろう三つの社に、えいやと大屋根をかけて一つの本殿にしてしまった、というプロセスが想像されて面白い。(上:外観、下:内観)

拝殿にも同じように気になるポイントがあった。
拝殿の屋根は端部にぴょこりととんがった形があり、これが外観のアクセントになっている。これは直行する正面と側面の反りのある庇を連結するためにできた形で、縋破風(すがるはふ)という。

この連結部を滑らかに処理すると、よく見られる入母屋屋根になるのだが、ここでは縋破風がとんがってるため、そのあたり何だかとってつけたような感じがする。で、その下の建築本体の方を見ると、両端の柱間、つまり縋破風の下だけが左官壁の塗籠(ぬりごめ)となっている(その他の柱間には壁がない)。
以上から想像をたくましくすると、この拝殿の原型は、壁のない柱だけの四角い平面に切妻屋根が載ったパルテノン神殿のような形で、後から、両端に塗籠の部屋とその上にかかる庇を付け足すことで今の形になったんじゃないか。この縋破風は、そのような建築の進化というか発展のプロセスを名残としてとどめるもののように思われるのだ。

こういう建築の発達プロセスが表現された(と思しき)デザインは、もちろん直接的な増築によってつくられたのではなく、何段階か幾時代かの試行錯誤をへて成立したのだろうけど、建築が経てきた時間や記憶の蓄積が空間として表現されてるという点が、個人的にはとても興味深い。

どうして興味深いのかというのは、もう少し考えて書かないといけないので、宿題。

宇治川沿いの散歩に時間をかけすぎて、平等院にある鳳翔館にはいきそびれた。次回にもちこし。
それにしても宇治川沿いは気持ちの良い土地だった。前回の家探しでは見過ごしていた。土地代は高そうだけど、ここらへんに住めたらいいなあ。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.25 | (0)

ラオスの木製バス Bus:LaoBao, Laos, 1996

ラオスの木製バス Bus:LaoBao, Laos, 1996

ベトナム/ラオス国境の町ラオバオLaoBaoから、ラオス/タイ国境の町サバナケットSavannakhetへ向かう、ラオス横断バス。記憶がもはや曖昧だが、たしか昼頃に出発して深夜に到着し、運賃は5ドルくらいだったような。

今でも走ってるのかわからないけど、トラックの荷台に木製の客席ワゴンが載ったバスで、もちろん座席も木製。屋根に人の背丈くらいに荷物を積んで出発する。
走ると、未舗装の道の凸凹がダイレクトに木のフレームに伝わって、ぎしぎし揺れる。夜になると天井に一つある裸電球が薄暗く灯って、乗客たちの無言の顔をぼんやりと浮かびあがらせる。バスは相変わらずぎしぎし。窓の外を見ると街路樹さえも見えない暗闇で、星だけが満天に。そしてずっと、ぎしぎしがたこと。
あちこち旅行をしていて、もっと過酷な移動もあったけれど、なぜかこのバスの一夜がもっとも鮮明に印象に残っている。陳腐さを覚悟で言えば、それは銀河鉄道に揺られているような心地だった。
なぜそんな気がしたのだろうと、光と音と振動それに確かディーゼルエンジンと農村の臭いが加わり、五感へのゆるく単調な刺激が長時間続いてたからだろうか、などと考えてみたくなるけど、やめておこう。

サバナケットの食堂にて。フォーをすすりながらテレビのアトランタオリンピック高飛び込み競技を見ていた。これもなぜか鮮明に覚えている。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 09.06.13 | (0)

現場変更の妙味


上では天井ボード貼り。下では床暖房の設置。

2009/6/1〜6/7

T邸現場では、内外装の下地、外壁サイディング貼り、床暖房工事などが進行中。
一時の職人過密状態は抜け、新しい現場監督さんも来て、先週のように毎日現場に出る必要はなくなった。でもやっぱり二日と開けずに現場へ行ってしまう。のは、やはり現場が楽しいから。


神楽岡での町家再生や最初期の仕事では、僕自身も現場で竹小舞編みや塗装仕事、ちょっとした大工仕事もやっていた(もちろん素人の域を出ないものだけど)。神楽岡常連の職人連中との付き合いも長い。なので、現場の職人の動き方や考え方がある程度理解できるから、単に見ていても楽しいし、自分が書いた図面を彼らがどう理解しているのか、あるいは伝わってないのか、コマゴマした質問に受け答えしたりしながら確かめるのが、非常に勉強になる。

設計段階で細部に至るパーフェクトな図面を書き上げ、細工は流流あとは仕上げを…というやり方は、設計時と完成時の誤差がなくなるという意味で、一つの理想像かもしれない。けれど、そんなことはパーフェクトな設計者(そんな奴いない)にしかできないし、できたとしてもつまらない。
予測ミスによる修正は当然極力減らすべきだけど、少しずつできあがっていく状態を確かめつつ、職人とやりとりしながら、微調整や大修正を加えながら進めていくやり方は、やっていても楽しいし、それが結果のクオリティにつながるはずと思いたい。

なんだか当たり前すぎて恥ずかしいようなことを書いてるんだけど、書いていて、ああこれはフィールドワークベースの研究とよく似ている、と気付いた。
研究では普通、大まかな仮説(こんなことが分かるんじゃないかという予測)をたててからフィールドへ出向き調査をして、そこで得られた情報を基に、仮説に肉付けや修正を施しながら理論を組み立てていく。これはつまり、「現場・具体/机上・抽象」というとらえ方をすれば、設計と逆のプロセスをやっているんだな、ということ。

もちろん、設計も研究も、両者行き来を繰り返しフィードバックを重ねるから、順序の問題は曖昧になっていく。また、このような行き来はフィールドベースに限らず、いわゆる研究とか分析というもの全般にあてはまることではある。
けれど、僕のやってる都市空間を読解するような研究は、いわば出来上がった空間から設計コンセプトや設計時の条件を推測しようという試みであるから、設計の逆プロセスという側面が特に強い。
そして、空間の読解作業で最も面白いのは、設計コンセプトがストレートに実現された部分よりも、諸事情で変更を受けたであろう部分を読み解くことだったりするのだ。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.12 | (0)

SSS解体

解体前のSSS


2009/5/25〜5/31

5/30(土)
2007年5月に完成したSSS(SAKAN Shell Structure)の解体作業&振動実験を敢行しました(建設プロセスのまとめはコチラ

約1年半振りに滋賀県大キャンパスの敷地を訪れたところ、思いの外キレイに建っていました。なんせ全くメンテナンス無しで置いてあったもので、結構荒れてるのではと心配していたのですが。

施工上の問題から構造体のモルタルの強度に一定の不安があったものの、外見上は、仕上げの生石灰クリームが頂部で薄くなっている点、開口部まわりに一部上塗りが欠落してるところがある他は、大きな変化無し。それなりにクラックは入ってたけれど、たぶんこれは施工直後の乾燥でできたもの。コンパネ製の開口枠は、表面は劣化してるもののしっかりしてる様子。

紙貼り仕上げの内部も、カビだらけでは、と恐れていたものの意外にキレイ。雨漏りをした痕跡もなし。
ただ地面から15cmくらいの紙はおそらく虫食いでぼろぼろに。それより上は損傷少なし。むしろ気になったというか気持ち悪かったのは、内壁に蛾のサナギが点々々とあったこと。トップライト付近にはセミの抜け殻まで。どうやら虫たちの越冬場になっていた様子。まあ仕方がありませんが。
あと反省点としては、施工の都合上、開口枠とタタキの床の接点にちょっとした溝ができてしまっていたのだけど、そこがダンゴムシやムカデの住処となっていたこと(気持ち悪いので写真は無し)。
水硬性石灰のタタキは驚くほどカチコチに固まっていた。地面に接してるのに湿気も吸い上げておらず、かなり快適な床面であったのは不思議である。


振動実験と記録の準備にとりかかる。内部では構造担当・エスキューブの小澤雄樹氏が計測機器のセッティング。外側ではクラックのはいってる位置の記録作業中。


トップライト頂部に設置した加速度計。X・Y・Zの三軸を計測する。


振動実験開始。X・Y軸方向それぞれの面から、でっかい木槌(かけや)叩いて、振動の様子を記録する。


左:
モルタル躯体のクラックの様子を調べるため、また上塗りなしでの強度を調べるため、水硬性石灰の仕上げ漆喰を削り落とす作業。金槌とたがねでコツコツ、約2時間。気分は石工。この日一番しんどかった作業。
中:
仕上げを落とした状態で上記と同様の振動実験をした後、今度は崩壊するまで力を加える。4人がかりで力一杯押して続けてもらうが、これでは倒れず。
右:
続いて、4人がかりで、徐々に力を加えながらリズミカルに揺らしてもらう。数分たったところで、かなり揺れが大きくなってきて、足が一部破壊。

そのまま揺らし続けると、最後には木枠だけで支えられてる状態を経て、豪快に崩落。


恒例の記念撮影。柳沢の他、奈良女・山本先生、小澤氏、森田一弥氏、久住鴻輔氏、奈良女・滋賀県立大の学生さん。滋賀県立大の松岡先生、畑中久美子さんもたまたま見学に来てくれました。


タタキだけが、遺跡のように残りました。
かたわらで悲しみのあまりうなだれる小澤氏。

今後、本日の計測結果は整理・分析の後、実物大実験棟建設プロセスとあわせて、論文にまとめられる予定。施工時の問題点等の反省要素も盛り込まねばなりません。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.06.02

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