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2009 謹賀新年・牛: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/memo/000023.php
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2009 謹賀新年・牛

2009nenga.jpg

遅ればせながら、謹賀新年。
今年の年賀状は、丑年ということで写真選定に力が入ったけれど、おもて面は子供に占拠され、牛は宛名側へ。
曼荼羅都市・マドゥライで出会った、角の彩色に飼い主の愛情を感じさせる牛。

一文は、高村光太郎の『牛』より。
ちなみに以下のように続きます。

 その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
 形のおもちゃを喜ばない
 魂の影に魅せられない
 うるおいのあるやさしい牛の眼
 まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
 永遠を日常によび生かす牛の眼
 ・・・

(「正直な涎を持った大きな牛」というフレーズと迷ったが、新年早々よだれというのも何なので、上文を採用)
 
高村光太郎の牛もよいのだが、印象的な牛の描写で思い起こされるのは藤原新也の『牛歩来』(「印度動物記 」所収)。
素肌の胸に触れる牛の鼻先の感触を、金子光晴の「唇にふれる唇ほど、やわらかなものはない」(原文は「唇で」)という一文を借りて、表現するのである。
ぞくぞくする。


FH020036.jpg


人間が失った自然性を牛に投影するという構図は、上記2作品や有名な「十牛図」をはじめ、牛をテーマとする作品に多く見られるようだ。
僭越ながら、僕自身もインドでの調査の際、思いつきではじめた牛の一日密着追跡調査(丸6日6頭やった)を通じて、その構図を体感するような経験を得た。おおげさに言えば、それは、都市の中にありながら牛を媒介として悠久の時空にトリップするような感覚なのだ。
(昨年末、「建築ジャーナル」誌の山崎氏から機会を頂き、その時の体験を『インドの牛は都市のエアポケット』というささやかな一文にまとめることができたので、ほとぼりが冷めたらここにも載っけてみたい)。

牛はいいぞ、という話。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 09.01.07 | (0)

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