究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

2010年04月: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/2010/04/
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アトス山の修道院 Mt. Athos:Greece, 1996

アトス山の修道院 Mt. Athos:Greece, 1996

アトス山については、訪問当時に記したメモとスケッチが残っていたので、せっかくなのでそれに基づいて書こう(すべて96年当時の情報に基づいており、正誤の確認はしていないことに注意されたい)。
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Mt. ATHOS

ギリシャ北部・テッサロニキの東の方、三本細長くつきでているハルキディキ半島の東端、アトス山とはこの半島の先端部にある山の名前なのだが、一般的にはこの半島全土を含む聖域を「アトス山(ギリシャ語でアギウ・オルス)」と呼んでいるようだ。
この半島がそのままギリシャ正教(Orthodox)の聖地として、一種の自治区(?)となっている。だからそこに「入国」するには、アテネで特別許可をとらねばならない。アテネの外務省でもらった許可書を持って、半島の付け根の町ウラヌポリスにあるアトス聖庁の出先機関で入山証明証をもらう。これでようやくアトス山行きの船にのれる(ただしアトスは女人禁制の地であり、女性は決して入れないという)。このアトス聖庁で3000ドラクマ払うと、アトス山の修道院では宿泊・食事がすべて無料でうけられる。

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さてアトス山へは、ウラヌポリスから船に乗り、ダフニという港から「入国」する。アトス山内にはダフニから中心都市カリエまでバスが一本走っているだけで、後はすべて徒歩、もしくは船による移動となる。しかも滞在期間は4日間と限られているので、計画的に移動しなくてはならない。
アトスを訪れた際まず印象的であったのは、人の手がほとんど加えられていない自然が、これだけ広範囲に、しかも人が住んでいながら、残されている様子である。そんな中、アトス山には主要な修道院が20あり、ほかに数え切れないほどの個人の修道士による小屋や家があるという。特にアトス山山麓には、まさに自給自足の生活をする修道士がたくさんいるのだそうだ。

僕が訪れることができたのは、ディオニシオスDionysiosグレゴリーGregoryシモノス・ペトラSimonos Petras、それにクトゥルムシウKoutloumousiouの4つの修道院だけであるが、アトス山の美しくも険しく自然の中に建つ修道院の姿と、そこに暮らす僧たちの生活を垣間見られたことは、この上なく素晴らしい体験であった。

彼らの生活は、ディオニシオス修道院の僧の説明によれば、まず夜中の1時に起き、教会で3時間の祈りを行う。これが最も重要な祈りであるらしい。そして朝6時から8時半ころまで、また祈りの時間があり、その後食事。食事は一人の僧が何やら説教のようなものを話している間のみ許される(だいたい15分くらいか)。それからしばらく休憩(?)があり、夕方3時ころより、また教会へ。その後4時過ぎくらいに食事をとり、日没とともに床につく。修道院を訪れる僕らのような旅行者も、修道院に滞在している間は、この生活に従う(夜中1時の祈りは眠くて仕方ない)。まさに祈りの合間に生活があることがわかる。

真っ黒の衣に身を包み、豊かにヒゲをたくわえて神秘的なムードを漂わせる修道士たち。彼らの一人は「心の目を開き、神と対話するのだ」と事もなげに言っていた。そのために、機械や車、欲望の渦巻く世界から遠く離れて過ごすのだと。「神と対話」というのは、正直まだよく分からない。たぶんそれは一種の内省行為なのだ、と理解できる程度。人の思考や振る舞いは環境に強く規定されるから、こういった地を内省のための場所として選ぶのは納得できる。町中にあっても、そのための別世界をつくる必要があるのであり、それが建築の役割なのだ。

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シモノス・ペトラ修道院の建築(冒頭の写真も)
石組みでつくられた外壁の外側に木で組んだバルコニー状の廊下が廻り、眼下にはエーゲ海が広がる。廊下では、ベンチで修道僧たちが日向ぼっこしていたり、洗濯物を干してたりする。

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最後に、アトス山の修道院で忘れられないのが食事である。ギリシャ滞在中ずばぬけて美味しい食事であった。ギリシャの食事は、正直にいうとあまり美味しくなかったのだが、そのギャップを差し引いてもだ。食事はどこでも一日二回で、メニューは主菜(魚のムニエルが多かった)にサラダ、フルーツ、そしてワイン。このワインは修道院で作られたもので、ギリシャで一番美味しいワインなのだそうだ。確かに美味かった!

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 10.04.27 | (0)

五条以南の高瀬川2:ハーブ

笹にまじったミント

五条以南の高瀬川の植物についての第2弾。
前回の記事では、主に中高木から低木・灌木について書きましたが、もう少し下に目を向けてみると、ハーブの類も発見できました。

上の写真はミント。笹にまぎれて、完全に野生化している様子。
ミントは雑草以上に生命力が強いらしく、一度でも庭に植えたら最後、二度と駆逐することができないくらい繁殖力があるそうな。このミントもどっかから逃げてきたのだろうか。

山椒

こちらは山椒。
山椒は、以前ベランダ鉢植えで栽培を試みたことがあるけど、あっというまに虫にやられてしまったのだった。
ここでは元気よくフッサフッサに茂っている。
さっそく筍の土佐煮に使わせてもらった。

ドクダミ。ま、これもハーブの一種。

あと、バジルとシソ、香菜(シャンツァイ)にローリエ、ついでにイタリアンパセリぐらいあると、だいぶありがたいなぁ。保育園帰りにちょっと摘み取ったりして。
バジルは鉢植えでもよく育つが、シソと香菜(シャンツァイ)は鉢で何回か失敗した。
高瀬川の岸辺で栽培してやろうかしら。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.25 | (0)

寄席と朗読@荒壁を廻る家

「荒壁」からの桜の眺め

もう2週間前のことですが、4月上旬花満開の頃、「荒壁を廻る家」を会場に開かれた落語と朗読の会に、お邪魔してきました。

真ん中の茶室が「高座」として使われ、リビングが座布団の敷き詰められた客席となっていました。まさにハレの場としての中心。いや〜、こういう予想外でかつピッタリの使い方をしてくれるとは。設計者冥利に尽きます。

これは合成イメージです。実際にはテーブルとかは片付けてありました(当日、痛恨の写真取り損ね)

落語は二口大学さんによる「粗忽長屋」。
初見。えらい哲学的なテーマの話だなあと思っていたら、そのシュールな雰囲気が朗読につながっていくのだった。

朗読は広田ゆうみさんによる、別役実の「泥棒のいる街」「魔法使いのいる街」「六百五十三人のお友だち」(『淋しいおさかな』所収)。
恥ずかしながら別役実を知らなかった。三話とも不思議なもやがかかったような「街」のお話。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』にでてくるような、幻想的な街の姿を思い浮かべながら、聞いていました。「六百五十三人のお友だち」が個人的には一番好きだったな。もの悲しくいい話。

その後めったにお会いすることのない演劇世界の方々と一緒に、夜風の気持ちよいバルコニーで夜遅くまで懇親会がつづいたのでした。Kさんご夫妻、とても楽しい時間をありがとうございました。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.23 | (0)

竹原義二展@ギャラリー間

今月14日から、東京のギャラリー間で「竹原義二展・素の建築」が開催されてる。

三年ほど前に、竹原さんの著作『無有』を構成役としてお手伝いした縁で、13日に行われた上記展覧会の内覧会+記念パーティーに声をかけていただき、久しぶりに東京へ。

ちなみに、今回の展覧会にあわせて初めての作品集『竹原義二の住宅建築』も刊行されている。こちらは写真が中心なので、『無有』(テキストがものすごく充実)と併読すると、竹原建築への理解がたいへん深まるはず。是非あわせての購入をお薦めします。

ギャラリー間・会場風景

4〜6寸角くらいの角材(杉か?)が内外に縦横に組みたてられて会場が構成されていて、木という素材をコンクリートか石のように、量塊的に扱う竹原建築の雰囲気を味わうことができる。木材の体積はなんと29立米あるという。普通の木造住宅2軒分。ギャラ間史上最大級の重量と密度の会場構成に違いない。建築とは概念とかイメージの操作ではなく、あくまでモノでなりたってるんだ!という、設計者の強い意志が伝わってくるよう。
会場プランもたいそう複雑なものとなっていて、竹原建築の醍醐味である迷路的プランニングの一端もかいま見れる。

しかし、竹原建築で木といえば(最近は特に)広葉樹である。なぜ今回は広葉樹を使わなかったのか、懇親会で伺ったところ、広葉樹だと比重が重すぎて会場ビルの方がもたないからだそう。
とはいえ今回用いられてる針葉樹材も、数年天日にさらして黒ずんだ材をわざわざ使っており、一風かわった木の表情が引き出されている。素材を大事にしつつも、そのままでは使わない。必ず一仕事加えて味を引き出すという、なんだか江戸前の寿司職人のような姿勢が素敵だ。

T定規による手描き図面。
職人の手仕事にこだわる以上、設計者も手仕事で応えるということなのでしょう。
このあいだの『TOTO通信』で藤森照信も指摘してたけれど、竹原義二氏の語りにしばしば登場する「1対1」「フィフティ・フィフティ」「対等」というキーワードと関連するのだと思う。真摯というか、愚直というか。とにかく背筋が伸びる思いです。

二次会にて。
建築写真家の大橋富夫さん、ICUの長田直之さん、南洋堂の新宮君らとテーブルをご一緒する。
大橋さんには撮影現場のエピソードなど楽しく聞かせてもらう。「人の写真を撮る時は、ジャンプしてもらうとよい。その仕方に人間性が表れる」という。黒川紀章は「気をつけ」をして跳んだ。
長田さんからは「どういう家を設計してるの?」「白い家?」と聞かれ、「白くない家です」と答えたら、「逆境からのスタートだねえ」と言われた(笑)。
「白い/白くない」というのは、藤森照信がいうところの「白派(抽象系)」と「赤派(モノ・形系)」のことかなと思ったが、もう少し単純なスタイルの話かもしれない。いずれにしても、「白い/白くない」という極めて乱暴な二分法なんて、人の作品を論じる際にはほとんど無意味だと思っていたのに、自分の建築に引き寄せて考えると、妙に腑に落ちてしまったのはどういうわけか。これが二分法の力なのか。しばらく悩みそう。

三次会は、アイシオールの多田さん・豊永さんと一緒に、久住直生氏が手掛けたという土のバー「六本木農園」へ。
壁から床、棚からカウンターにいたるまで左官の嵐で面白かった。あまりに土に囲まれているので、ピラミッドの石室の中にいるような気分になった。しかし、いくらなんでも建具にまで塗るのはやりすぎでない?

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.04.18 | (0)