究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

ヴァナキュラー: 究建築研究室 Q-Labo.|http://q-labo.info/cgi/mt/mt-search.cgi?search=ヴァナキュラー&blog_id=1
Copyright © 柳沢究 Kiwamu YANAGISAWA, 2008-

スタジオ・ムンバイ@ギャラリー間・東京国立近代美術館

8月28日、半日使って久々に東京へ。
まず南洋堂によりいろいろ物色。そこで新宮岳氏から、東京国立近代美術館でスタジオ・ムンバイの施工やってますよ、と教えてもらう。ギャラリー間のスタジオ・ムンバイ展が主目的なのにもかかわらずそれを知らないというのはいかがなものか。学生の時と違って使える時間が短くなってるのだから、ちゃんと計画すべきなんだけど、旅行は行き当たりばったりで行くものという思い込みがまだ抜けていない。反省。

神保町から国立東京近代美術館まで、途中パレスサイド・ビルを通り抜けながら、歩く。東京はタバコを吸える場所が本当になくなった。

26日から始まったという「夏の家」の施工風景。
インドの職人が3人いる他に、若い日本人スタッフが数人手伝っている。どこかの大学がサポートしてるのかと思ったら、独自にスタジオ・ムンバイに直接コンタクトを取って手伝っているらしい。ギャラリー間の展覧会開催以降、日本からのスタッフ応募の問い合わせがものすごく増えたのだそうだ。

茶室か待合のような、木造建築の基本形による構成。木加工の精度が非常に高いことに驚くが、意外と普通、というかデザインの気負いが前面にでていない感じがいい。
一番目立つブルー屋根も防水シートを圧着したまま(?)というざっかけなさが効いている。柱も、おそらく防水・防腐コーティングをしたのを、そのまま掘っ立てている。
たたずまいとしては、公園にぱらぱらと置かれたベンチや滑り台、ブランコのよう。

実際にブランコもある。ブランコはインドでは宗教的な意味合いが強く、南インドの伝統的住宅ではしばしば家屋の中心に設けられていた。お祭りでもたいてい登場する。僕はまだ見たことがないけど、現代でも裕福な住宅のリビングに設ける事例はあるようだ。

窓に用いられているサランのような透過性のある織物の表情がとてもおもしろい。
材種はよくわからなかったが、見たところチークやマホガニーのよう。日本では舶来の高級木材であるが、向こうでは普通の材料なのであろうか。柱や框の細さ、スタジオ・ムンバイがよく使うルーバーといった線の細いディテールは、こんな固く密実な材料でできてるんだなあと。
夕方からはビールが飲めるらしいが、それまでいられないのが残念。
1時間くらい見学した後、ギャラリー間へ。


作品集も買ったけど、テキストに目を通す前に雑感を記録しておく。

彼らが拠点としているマハーラーシュトラ地方については、ムンバイに2度少し滞在したことがある程度でよく知らない。なので、あまり正確ではないかもしれないが、彼らの建築そのものからは、あまり「インド」を感じなかった。ヴァナキュラーという感じもしない。
一方で印象的なのは、自然や周辺環境、路上、アノニマスな「普通の」建築に対する視線のセンシティブさであり、そこから得られたものを咀嚼し建築形態に落としこむという姿勢。同様の視線は、インド産の「あまりモダンでない」素材やディテールにも向けられていることが展示からわかる。このような姿勢を「インド的」と解釈することもできるかもしれないが、僕らの感覚からすると、むしろ同時代な感覚として素直に共感できる類のものであると思う(ただし形態や構成は、日本の状況がやや滑稽に見えるほどに真摯に「モダン」である。硬派である。「モダニズムのローカライズ」という積年の課題への取り組みと、僕は見たい)。

スタジオ・ムンバイが注目されている最大の理由はやはり、モックアップを活用しつつ設計から施工を一貫して自分達のスタジオで集団的に取り組む創作のスタイルであろう。
ややおこがましいのを承知で言うと、森田一弥氏らと一緒に神楽岡工作公司でやろうとしていたことの、一つの完成形を見た思いがする。それは近代的なものづくりの体制に対する批判的アプローチでもあるが、同時にこの場合、インドという国において彼らの意図するセンシティブな現代建築をつくる、ほとんど唯一の方法としてそのような設計・施工の一貫体制をとる必要があったのでがないか。
想像されるように、インドの施工精度はお世辞にも高いものではない。それゆえ(と言っていいと思う)カーンやコルビュジェは精細なディテールに頼らない、遺跡のような建築を建てた。20世紀後半のドーシやレワル、コレアはもとより、最近「インドの現代建築」として紹介される若手(?)の作品も、(地方による差はあるが)その延長にあったと思う。スタジオ・ムンバイの仕事から僕が(勝手に)感じるのは、そのようなディテールの捨象による空間構成への集中だけがインドの現代建築ではない、という意志だ。
いずれにしても、設計から材料・施工までのすべてを手の内にいれ、集団としてまるで一人の「建築の万能人」のように振る舞う彼らの姿は、眩しい。

| MEMO 雑記・ブログ | 12.09.11 | (0)

斜庭の町家「地域住宅計画賞」受賞

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斜庭の町家が、地域住宅計画推進協議会主催の「第5回 地域住宅計画賞(作品部門・すまいづくり)」で、最高賞となる「地域住宅計画賞」に選ばれました。

地域の住文化や生活を活かした「現代のヴァナキュラー住居」を目指す当事務所にとっては、とても励みになる受賞です。

どのような点を具体的に評価いただいたのかはまだわかりませんが、今月末に兵庫県篠山市で行われる表彰式とシンポジウムで、いろいろと伺えると思います。
古民家を宿泊施設にして限界集落の再生を実現した「集落丸山」の見学などもあるようで、楽しみです。
(後日のレポートをご期待ください)


「地域住宅計画」は、数年前までは「HOPE計画」と呼ばれていました。
「地域に根ざした住まい・まちづくり」を進める制度として、昭和58年度に旧建設省において創設され、それぞれの地域の気候・風土、伝統、文化、地場産業などを大切にしながら、地域の発意と創意により住まいづくり・まちづくりを推進することを目的にした活動です。

(ヒショ)

Tags: | NEWs 最新情報 | 10.10.23 | (0)

ダラヴィという「スラム」

みんぱく行くといつもこれ。太陽の塔は後ろ姿がかわいい

7/18-20の三日間、国立民族学博物館にて行われた国際会議に出席する。
自分の英語のまずさを改めて自覚することとなり反省しきり。そんなわけで、会議に貢献できたかどうかは甚だ怪しいけれども、インドでもイギリスでもやられてないヴァーラーナシーに関する研究を、初めて英語で公表できたことはよかった。いくらかお褒めの言葉ももらったので、多少役に立ったと思うことにする。

会議の中で、デリー大学のR. Chatterjeeさんという社会学の先生の、ムンバイのスラムに関する論文にちょっと長いコメントをさせていただいた。内容は割愛するけど、僕はこの論文を読んで初めて「ダラヴィDharavi」という場所の存在を知った。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.07.27 | (0)

カオダイ教寺院 CAODAI Temple:TayNinh, Vietnam, 1996

CAODAI Temple

ベトナムにあるカオダイ教の総本山の寺院。

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Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 | 09.04.06 | (0)

装飾と住居

fig8a.jpg 南アフリカの装飾豊かな住居("Couleurs du monde", Le Moniteur より)

ヴァナキュラー住居に見られる建築装飾の意味と機能について整理したもの。「装飾とは装飾主体となる人間と世界との関係の表現である」と考えると、建築は本質的に「装飾的」であるはずなのに、現代の建築の多くが装飾性を排除している(かのように見える)のは何故でしょう。それはおそらく「装飾主体」が誰なのか、という問題と関連しているのでしょう。

世界住居誌』、昭和堂(2005年)所収の文章を一部修正。書籍に掲載されていた図版は未掲としました。


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Tags: | ARTICLEs 小論 | 09.01.17