究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

2010年03月: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/2010/03/
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サントリーニ島 Santorini Is.:Greece, 1996

サントリーニ島 Santorini Is.:Greece, 1996

エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島の一つ、サントリーニ島の町(おそらくイアだったと思う)。
この島は、アトランティス大陸の推定地としても有名だが、建築の世界では何と言っても、ミコノス島と並び、白い家が群生する街並みの美しさで知られる。

僕が「集落」というものに興味をもった切っ掛けの一つは、たしか、大学1年生頃に見た、二川幸夫によるこの街の写真集だったと思う。

建築に興味の無い人さえ魅きつけてやまない、この風景の魅力の源は何なのだろう。

一見して明らかなのは、色だ。
青い空と海と茶色い断崖との間に浮かび上がる白。
地中海の明るさを存分に感じさせるこのコントラストは、単純に色彩的に美しいのだけど、少し建築の視点からも考えてみよう。
白い家は、よく見るとサイズも平面の形も屋根の形も、似ているが、みんな微妙に違う。新しいコンクリート造の家もあれば、古い石積の家もある。しかし、その全てを石灰系のマットな白で塗ってしまうことで、個々の差異を内包しつつ(ここが重要!)、全体的調和がつくりだされている。単純だが、非常に効果的な手法である。サントリーニの住民は外壁を白く保つため、毎年塗り替えることを(法的に?)義務づけられている、ときいたことがある。
この「白塗り込め作戦」はかなり徹底されていて、塀や階段の手摺り、バス停のベンチ(冒頭の写真)に至るまで、人工的な構築物はおよそ白く塗り込められているのだった。

言葉をかえると、白く塗られているところは、人が島というキャンバスに手を加え描いた部分であり、土とか石がみえる白くない部分は、自然のままというか、島のキャンバスの下地がそのまま残っている部分なのだ(もちろんこれは理念的な解釈で、実際には地面にもたくさん人の手が入ってる)。
都市とか集落とか建築というのは、大きな視野で見れば、人間の生活を大地の上に描いたものだ。あるいは、荒れた大地の表面に塩が析出するように、自然の中に人間の生活が結晶したものだ(少なくともそのようなものであってほしいと、僕は思う)。
この建築と自然の根本的な関係が、非常に明快に表現されているがために、サントリーニの街並みは魅力的なんじゃないか、というのが一つの考え。

しかし、ただ「図と地」の対比が効いてる、というだけでは、たとえば日本の郊外団地群だってそうなのだ。サントリーニがそれと違うのは、街並みを構成する建物がヒューマンスケールなボリュームに分節されていることと、それらの組み合わさり方が、自然の造形物に見られるような複雑さを備えている点だ。この複雑さの秘密は、意外にわかりやすい(と思う)。
地形なのだ。より直接には等高線なのだ。ある斜面に道を作る際には、等高線に沿って作るのが一番作りやすい。等高線はだいたいうねっている。そしてそのうねった道沿いに家が並ぶ。一つ一つは「人工っぽい」直方体の家も、それが自然な曲線を描く等高線に沿って並ぶと、いきなり「自然な」ほどよい複雑さを獲得するのだ。

ちなみに崖に張り付いた白い箱だけが家ではない。その奥に、崖をくりぬいた洞窟のような居住空間が広がっているのが、イアの町の伝統的な住居形式である(下図)。洞窟の入口付近に居間や食堂が設けられ、一番奥が寝室になる。街路のようなテラスの一角に建ってる白い箱が、外気を必要とするキッチンや浴室なのだそうだ。

10040901.jpg 『第2版コンパクト建築設計資料集成〈住居〉』(丸善)、p.14より


磯崎新はサントリーニの集落を評して、「偶然えらばれた特殊な地形のうえに、まずひとつの住戸がおかれる。その結果をみたうえで次の住居がかさねられる」、そうして、すべての家が海と太陽に開く窓を持つというルールを守ることで、集落形態が形作られていったのだという(『世界の村と街 no.1:エーゲ海の村と街』A.D.A. Edita Tokyo, 1973年)。
まあ、そこまでシンプルではないにせよ、そういう部分/部分の関係、その場その場の対応の集積で全体が形作られたのは間違いないだろう。このような集落の魅力を建築にも取り入れたいと、ずっと思っている。
そんなことをコンピュータ・シミュレーションによって検討している研究もあるようだ。「種を蒔くような計画」っていいなぁ。使わせてもらおうかな。
 藤木隆明他「ギリシャ・サントリーニ島の集落のモデル化」その1その2(pdf)

磯崎の言う、集落の発生の原初を思わせる風景。
こんなところに家欲しい〜。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , PICTUREs 旅と建築 , SELECTED 選り抜き | 10.03.21 | (6)

五条以南の高瀬川

五条楽園付近の高瀬川

保育園への送り迎えで、ちかごろ五条通より南の高瀬川沿いを、毎朝のように通る。

高瀬川沿いの雰囲気は五条通を境にして大きく変わることは、京都でも知らない人が多いかもしれない。
五条より北は、沿道に料亭・旅館が並び観光客も多い。対して五条より南は、いわゆる「五条楽園」で、京都の人でも歩いたことのある人は少ないと思う。まあ実際に歩いてみると、どうということはないし、むしろ散歩するには北以上に気持ちの良い道なんだけど(この高瀬川の南北断絶は、五条通に高瀬川沿いの横断歩道が無いことで決定的になっている)。

そういった料亭街か「楽園」かという違いを抜きにしても、川沿いの雰囲気は南北でかなり違う。物理的に違っている。それは、そこに生えている樹木の種類がまったく違うからだ。

五条以北では、二条通までつづく桜並木が見事だ。とりわけ松原通の前後はよい。今は冬なので、葉はなくたいへんすっきりとした感じ。

で、五条以南はというと、桜もところどころにあるにはあるのだけど、なんというか、ずっと緑が濃い。常緑樹が多いうえに、色々な樹種が混在して鬱蒼としているのだ。そこらへんが個人的には好み。ただ、このため見通しがやや悪くなっており、これは、外部の人が立ち入りにくい雰囲気となっている理由の一つだろう(ひょっとしたら意図的なものかもしれない)。

この五条以南の雑然・鬱蒼とした植生がなかなか面白いのだ、というのが今回の主旨。

どんな種類の樹が生えているか、ちょっと気をつけて見てみたら(さいわい樹種を書いた札がついている木が多い)、ほんとうに種類が多いことに驚いた。ほとんど雑木林のような多様さなのである。

とりあえず、見つけたままに列挙してみる。

アオキ、アオギリ、アカマツ、アジサイ、アラカシ、アンズ、イスノキ、イチジク、イチョウ、イヌマキ、イボタノキ、ウバメガシ、エノキ、カイヅカイブキ*、カエデ(の仲間)、カキノキ、カポック*、カヤ、カラミザクラ*、カリン、カンノンチク*、キョウチクトウ、キリ、キンカン、キンモクセイ、クスノキ、クロガネモチ、クロマツ、ケヤキ、コブシ、サカキ、サクラ(の仲間)、ザクロ、ササ(の仲間)*、サザンカ、サルスベリ、サンゴジュ、サンショウ、シダレヤナギ、シモクレン、スダチ、センダン、ソメイヨシノ、タイサンボク、タケ(の仲間)*、タラヨウ、ツゲ、ツツジ*、ツバキ*、トウカエデ、トウジュロ、トウネズミモチ、トベラ、ナンテン、ハナズオウ、ハマヒサカキ、ヒイラギ、ヒイラギナンテン、ヒイラギモクセイ、ピラカンサ、ビワ、フヨウ、マサキ、マユミ、ミカン(の仲間)、ムクゲ、ムクノキ、モクレン、モチノキ、モッコク、モミ、モモ、ヤツデ、ユスラウメ、レンギョウ、ワジュロ……(随時追加中)

左:夏ミカン、右:シュロ

エノキやイチョウ、クスノキ、キリなどの結構大きな木もあれば、キンモクセイやコブシ、モクレン、ツバキなど花や香りの楽しめるものもあり、シュロやら、観葉植物が野生化したカポック(シェフレラ?)まであったりする。

面白いのは、ビワやミカン、カキ、カリンなど、食べられるものが目立つこと。
近隣のおばあさんによると、戦後の頃に食べるために植えたのが育ったものなんだそうだ。その以前は、北と同じように桜並木だったのだという。へ〜。
今は大きな夏ミカンが高瀬川にはりだして、たわわに実っている。

家の前に植木鉢をたくさん置いて、いろいろな草木を育てている人は多い。ここでは、家の前に高瀬川の岸辺という絶好の植栽スペースがあったので、そこにめいめいが好きなものを植えていった(+鳥が種を運んできた)結果、このような「雑木並木」に育ったのだと推測される。
なんだか、いい話だ。

川沿いの土地は国や自治体の管轄なので、普通こういうことはできないのだけど、ここでは花街ゆえか川と家の近さゆえか、そういったコントロールを免れたのだろうか。
前述した見通しの件やゴミの問題など、いろいろ付随して起こる問題もあると思うけれど、住民が(自分の敷地内だけじゃなく)積極的に町に手を出し関わっていくという姿勢は、大切なことですな。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ , SELECTED 選り抜き | 10.03.09 | (0)

京都タワーとか

紫の海にたゆたう山鉾群@京都タワー 2002


先週末は久々に飲みが重なった。
金曜日は、仕事が一区切りついた(ついてしまった)のを機に、日頃お世話になっている工務店の方と、久々の西村鮮魚店にて。あいかわらず魚が美味しい。途中から大工さんや電設屋さんも合流して、まだ薄寒いのに屋外のテーブルで12時過ぎまで話し込んでしまう。
施工と設計という立場を超えて、率直に話し合える関係ができてきたのは嬉しいことです。

土曜の夕方は、京都駅付近の居酒屋にて保育園の保護者懇親会へ。保育士さんとお母さん方十数人の中に、男は僕一人という状況で、だいぶ緊張した。残念ながら体調優れず(二日酔いが残ってたので)、めずらしく二軒目は遠慮して帰宅。


懇親会の前に少し時間があったので、約8年ぶりに京都タワーをのぞいてきた。

噂には聞いていたけど、前は学食のようなレストランだったタワーの台座部分が洒落たラウンジになってたり、土産物コーナーがだいぶスッキリとリニューアルされてたりで驚いた。
8年前にタワー入口付近にあった《ブラックライトを浴びて極彩蛍光色に輝く回転舞妓の像》がなくなっていたのは、ホッとしたような残念なような。


せっかくなので(何が?)、2002年の『京都げのむ No.2』取材時の写真をちょっと公開(冒頭の写真も含め、すべて京都タワー内にて撮影。げのむ2号のグラビアにも収録されています)。


左:発光回転舞妓、右:ピンク一休さん
(撮影:冒頭・左/渡辺菊眞、右/上林功)

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 10.03.08 | (0)