京都大学柳沢研究室|居住空間学講座
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2024年度

博士課程

Chusree Supachai、野田倫生、孫文倩、原田佳苗

修士2回生

小森幸、杉本春佳、唐穎

修士1回生

井上青葉、趙士徳、平川礼子

4回生

小池駿輝、水﨑恒志

研究生

銭佳

その他

磯村健斗(オープン参加、経済学部4回生)



Chusree Supachai

・住まいの思い出
去年冬の、長江家住宅共同見学会に参加しました。祇園祭のメンバーが私にこの機会を与えてくれました。長江家住宅は1822年に建てられた総二階の京町家を復元した建物です。町家のつくりには様々な暮らしの知恵があります。私の一番好きな部屋はハナレ(茶室)です。簾、紙、竹などの自然な 材料が垂直に立ち上がり、内部空間を囲ったのがハナレ。家の中にはたくさん古い骨董品がありました。例えば大正ガラスのきれいな建具です。この建物は私の住む町船鉾町で一番古い京町家です. 皆様にこれをお勧めします、工夫が住居デザインの中に感じられます。

野田倫生

・住まいの思い出
小さい頃の住まいを思い出そうとすると、外出先から家族で帰ったときの真っ暗なリビングの映像が頭に浮かびました。電気を点けてみるのですが、誰も過ごしていないリビングは出かける前とも平日の夜ともまるで違う空間に感じられます。この時間が止まっていた部屋に家族4人が雪崩込み、少しの間みんなでぼーっとしているのが好きでした。しばらくすると両親は寝支度をはじめるのですが、私はそこに居続けたくてよく狸寝入りしたことを覚えています。

孫文倩

・住まいの思い出
田舎にある父の旧宅は、伝統的な三合院(三方が家で一方が塀になっている、中庭のある家)である。父を含む4人兄弟が大人になってからほぼ空き家になっていた。しかし、毎年の春節に、ここには家族全員約20人が集まってきて、賑やかになる。記憶の中で、子供たちは新しい服を着て、お年玉で花火を買って、家族メンバーは居間でお話をして夜中まで起きていた。一年中最も楽しい時だった。しかし、6年前祖父母がなくなった以降、このように集まることは二度となかった。

原田佳苗

・住まいの思い出
築130年の民家に半年前から暮らしています。家の背には山があり、川が流れています。表側には集落が広がり、お隣さんはとても良い人たちです。冬はとても寒く、辛い時期もありましたが、春になると川辺に小さな桜が咲いていることに気づいたり、お隣さんがニンニクやタラの芽が家の敷地内に自生していることを教えてくれました。季節の変化と共に気づきや学びのある、この暮らしがとても楽しいです。

小森幸

・住まいの思い出
大阪にあるマンションで育ちました。3LDKのごく普通のマンションです。南北に大きな窓が並び、気持ちのいい風が吹き抜けます。夏の夜、窓のふちに座ったり、畳の床に寝転んだりして、夜風を浴びて涼みます。至福です。遠くから地域のお祭りの音が聞こえてきます。ベランダに出ると、淀川の花火が見えます。家族みんなで満開の花火を見ながらアイスを食べた夜もありました。ごく普通のマンションのほんの少し特別な思い出です。

杉本春佳

・住まいの思い出
大学入学時に3ヶ月間、単身赴任の父と2人で暮らしました。生まれた時から実家で暮らしていた私は、初めての引っ越しをし、新しい生活を始めました。2人で住んでいたにも関わらず、3ヶ月の思い出の中に父との記憶がほとんどないほど、互いに全く違った生活をする中で、家をまとめ家族を繋いでくれていた母の存在の大きさに改めて気づくきっかけになりました。家としての愛着はなかった住まいですが、住まいが変わることで、当たり前であった関係を見つめ直した思い出です。

唐穎

・住まいの思い出
中学生の頃に通っていた学校で、寮の生活を初めて体験した。寮には、夜10時半になったら、自動的に明かりが消され、夏の暑い日に夜間の気温が32℃を超えたら冷房をつけるルールになっている。ある日教室に遅い時間までいて、寮に戻り、シャワーを浴びている最中に、消灯時間になった。気温は31℃だったが、蒸し暑い日だった。暗い隣の棟から急に懐中電灯が光っているのが目につき、その光がすぐこっちの棟にも移ったようで、廊下が暗いまま足跡がどんどん増えて聞こえてきた。中庭にものを投げる音も大きく聞こえた。部屋に戻ったら、一応6人部屋のリーダーの人が扉から頭だけを出して眠そうな姿でただ騒動の廊下を見ていた。これは戦う気ないなと思いながら、シェルターに入ったように、部屋に入った。廊下での交渉、学生側が勝ったらしく、反乱はわずか15分くらいで終わったという経験があった。

井上青葉

・住まいの思い出
実家のリビングダイニングには、少し大きめの四角いテーブルがある。おそらく僕が人生の中で一番長く使ってきたテーブルである。普段の食事はもちろん、自分の宿題や勉強、父のパソコン作業、親族が来たときの鉄板や鍋料理など様々な用途でみんなが囲んできた。思い返せば、実家の中でここだけが終始変わることなく使い続けられている。これがなくなると実家が変わったと思わされるのではないかというほどに、このテーブルは僕の家族の住まいの”中心”にある。

趙士徳

・住まいの思い出
小さい頃から、家の書斎で、勉強して、バイオリンを練習した。長年、何回か転居したが、それぞれ、勉強と音楽を練習する場がある。その二つの場は、たまにお互いに分かれて、たまに重なっていた。日本で一人暮らしを始める時に、自分の家の間取りを考えなければならない。その時、昔の経験の影響で、頭の中に出た家の様子は、建築の本がいっぱいあって、勉強できて、音楽ができる場所である。具体的には、私を中心として、この二つの場所に囲まれる印象である。最後に、私と窓を中心として、本棚、学習机とピアノに囲まれる場所を作った。これが、多分私の住まいに対する思い出である。将来、たとえ何回転居しなければならないとしても、その学習と音楽を楽しむ場所は私にとって、欠かせないものだと思う。

平川礼子

・住まいの思い出
築80年木造3階建ての実家はいつだって温かかったけれど、時々背筋が寒くなる思いをした。幼少期からずっと暗闇が苦手な私は、実家の真っ暗な廊下や真っ暗な階段が大嫌いだった。私が通ったあとは大抵廊下や階段の電気が全てつけっぱなしになっていたので、毎日母に叱られた。電気を消すときにはいつも暗闇から逃げるように走っていた。思い出すだけで今でも背筋がゾッとして、いてもたってもいられない気分になる。

小池駿輝

・住まいの思い出
大通りに面した一軒家で育ちました。居間や自分の部屋から大通りを挟んで家の南にある公園の森林を見ることができたので、勉強の合間などにボーッと眺めていました。歩道に面してカーポートがあり、平日は親の通勤のため車がないので小学校の集団登校の時の通学団の集合場所になっていたり、家の前の広い歩道も合わせて野球の練習をするスペースとし、自主練に打ち込んだり、友達と遊ぶ場としたりと様々な使い方をしていました。

水﨑恒志

・住まいの思い出
初の一人暮らしの家は北向きで、あまり日が入らない家でした。照明なしでは薄ら暗くて不便に感じていましたが、(だからこそ?)時たま入る自然光に包まれた部屋は、ドラマチックなものでした。4回生になり、新しい住まいには南向きの部屋を選びました。新居でも、諸々の条件が揃うと、時計の針が重なるように、前の家と同じような日の入り方を感じることがあります。そして、ちょうどその時の前の部屋は薄暗いままなのだと思います。

銭佳

・住まいの思い出
あるテレビに「Homes are architectural forms of memory」というセリフがありますが、私もそう思います。写真で昔住んでいた部屋や家具を見ると、生活シーンや人々が思い出されます。子供の頃、正月に親戚がお祝いに戻ってきました。夕食では、皆で夜遅くまで賑やかにお喋りをしました。10人以上と人数が多かったので、夜になると、居間の家具が隅に移動されました。それから居間と寝室の床にマットが敷かれ、全員がベッドか床に寝ました。電気は消えましたが、誰もがまだ夕食の雰囲気から抜け出していませんでした。暗闇の中で会話は続き、時折楽しい笑い声が聞こえました。

| Member メンバー | 24.05.09