「聖なる風景」と「融合寺院」
ガンガーよりマニカルニカ・ガート(火葬ガート)を臨む("Banaras: Sacred City of India", Raghubir Singhより転載)
ヒンドゥー教最大の聖地として、メッカやエルサレムとも並び称されるヴァーラーナシーVaranasi。では、なぜヴァーラーナシーは大聖地となったのか。また、その聖地で現在も進行している不思議な寺院のが示唆する都市の可能性について。少し建築的な話です。
『インド通信』第362号(2008年)掲載の文章に若干の加筆・修正
三日月形に湾曲しながら北流するガンガー(ガンジス川)、その西岸を埋め尽くす豪奢なようで雑多な建築群、随所に林立する寺院の塔、水際一面に広がる「親水装置」と呼ぶにはだいぶ無遠慮な階段、そこから歓声とともに川へ跳びこむ子供たちと水飛沫、かなたの一画に立ちこめる白い霞…。一度見るとなかなか忘れることのない、ヒンドゥー教の聖地・ヴァーラーナシーVaranasi(バラナシ、バナーラス、ベナレス)の、ガンガー上からの眺めだ。白い霞はもちろん、荼毘の煙である。
■なぜ「聖地」か
ガンガー中流域、ウッタル・プラデーシュ州東部にあるヴァーラーナシーは、数あるインドの聖地の中でも別格の大聖地であるが、そもそも何故ヴァーラーナシーが大聖地になったのかという問題は、あらためて考えてみると面白い。
まず考えられる理由の一つは、「そこに早くから都市が発達していたから」という、やや情緒に欠けるものだ。古代都市の多くは権力の所在地であり時に宗教的なセンターでもあった。そのようなセンターには宗教者(例えばブッダのような)が集まっていた。彼らがいろいろな聖性を都市に付与することで、「聖地」として成長していったという筋書きだ。
ただ、これは他の同種の古代都市の中で、ヴァーラーナシーが格別重要な聖地になったことの説明にはならない。
もう少し「聖地らしい」由来としては、「湾曲するガンガーがシヴァの三日月を表しているから」、「ガンガーがヒマラヤのある北に向かって流れる唯一の場所だから」というのが、比較的説得力のあるものだ。
けれど、googleで見ればわかるように似た地形は周辺にもあるし、空からの視点というのがちょっと苦しい。ヒマラヤだって見えない。身も蓋もないようであるが、実感を伴わないところが後付けっぽいのである。
■「聖なる風景」の力
個人的には、ヴァーラーナシーの街がガンガーの西岸(三日月の膨らみ側)だけに広がっているところがミソとにらんでいる。
東岸は、少なくとも西岸から見える範囲は、茫漠とした砂地だ。「東岸は穢れた土地で、そこで死ぬとロバになる」から人が住まない、という伝説的説明がある。しかし実際には、三日月の内側(東岸)は土砂の堆積が激しく、さらに雨季の増水で水没してしまうため居住に耐えないのだろう。対して西岸には、頑丈な地盤の小高い土手が連なっている。かくして古代ヴァーラーナシーは、水はけのよい西岸の土手沿いに、ガンガーと並行して展開した。
結果、町はすべてガンガーを挟んで東面することになった。
東は太陽の昇る最聖の方位である。もとよりガンガーはインド最聖の川だ。その最聖コンビの共演に、湾曲した川の形状が、さながら円形劇場のような劇的空間効果を演出した。すなわち、ヴァーラーナシーの街からガンガー越しに朝日を臨む人は、同時に、街がガンガーと共に朝日を浴びて神々しく輝く様を見ることになったのだ(東岸に何もないのも効果的だ)。
ガンガーの日の出 朝日をうけるヴァーラーナシーの町
いささか冗長になったが、このような都市景観と自然地形の調和が生んだ劇的な空間性、いわば「聖なる風景」の力が、ヴァーラーナシーを頭一つ抜けた聖地たらしめた大きな理由ではないかと考えている。それはこの街がインドの聖地であると同時に、世界的観光地としても成りたっていることと無関係ではないだろう(余談であるが、近年ヴァーラーナシー旧市街の世界遺産登録に向けた動きの中で、川沿いの建築に制限を設ける提案がなされているそうだ)。
■夥しい数の寺院
さて理由はとにかくも、ひとたび聖性を帯びた都市には人々が惹き寄せられ、新たな風景が生み出されていく。ヴァーラーナシーの街で現在も進行中である、このような風景誕生の一場面を、以下に紹介したい。主役は寺院である。
ヴァーラーナシーは聖地であるがため、寺院の数はまことおびただしい。
旧市街の路地を歩いていると、10メートルと空けずに寺院の塔状屋根(シカラ)に出会う。特に街の中心寺院であるヴィシュワナータ寺院(黄金寺院)や火葬ガート等の重要スポットの周囲や、火葬ガートへ至る葬列の通り道には、すさまじい密度で寺院が集まっている。聖なる場所に寺が建ち、さらに寺が寺を呼んでいるのだろう。
しかもシカラを載せている建物だけが寺院ではない。住居の中の一室はたまた街路の地下に、数多くの寺院が隠れている。道端や樹の下にも小さな祠が山盛り転がっている。路傍の粗末な祠や家庭のリビングに鎮座するリンガが、実は数百年の歴史を持ち、巡礼路にも組み込まれている神様だったりするから驚く。
一体どれほどの寺院がヴァーラーナシーにはあるのだろうか。
全体の正確な数字は残念ながら見たことがないが、筆者が2000年に旧市街中心部(ヴィシュワナータ寺院を含む約58万平米の領域)を対象に行った調査では、小規模な祠も含め、その数は700にのぼった。およそ30m四方に1つという密度だが、寺院の多くは街路沿いに建っているから、体感密度ははるかに高い。「林立」は言い過ぎではない。街全体では2,3千はいくかもしれない。
もちろん人口密度もすごい。旧市街中心部は立錐の余地無く諸々の建物で埋め尽くされ、さらに年々高層化が進んでいる。
■融合寺院
そんな街の中に、一風変わった姿をもつ寺院群がある。
基本はシカラを備えた立派な寺院建築である。奇妙なのはそれが、隣接する建物に半ばめり込んでいたり、シカラの頂部に住居が突き刺さって載っていたり、はたまた四方上方を囲い込まれた寺院のシカラだけが屋上から突き抜けていたりといった具合に、寺院と他の建物とが野放図に融合一体化しているところである。中にはリンガが据えられ、寺院機能はちゃんと維持されている。融合相手はたいてい住居だ。
ヴァーラーナシーの街並みを注意して眺めていると、そのような姿の寺院が相当数存在することに気付く。筆者はこのような寺院を、仮に「融合寺院」と名付けて注目している。
左から、「めり込み」「突き刺し」「突き抜け」
融合寺院については所有・管理関係などをはじめ、まだわからないことが多いが、それが出現した経緯は、地図の比較や周辺状況からある程度推測できる。つまり、元々は独立して建っていた寺院が、隣接建物の建て増しや敷地内での新築が行われた際に、寺院の建築形態を維持したまま、新しい建物の一部に組み込まれてしまった、というプロセスである。
決定的なのは人口圧力であろう。街中に土地が足りないから、そこら中にある寺院敷地に手を伸ばしたというのは容易に想像できる。寺院と人口、両者の高密さの衝突が背景にある。
不思議なのは、寺院を壊さずに、わざわざ新しい建物に組み込むところだ。ヒンドゥー教では原則として寺院の破壊や用途変更は禁じられているという。あるいは、すでにある寺院を壊すことをためらう素朴な宗教心に基づくのかもしれない。
■都市空間更新システムの可能性
いずれにせよ筆者が注目したいのは、融合寺院が、①一度建った寺院は原則として破壊せず、②既存寺院を地形と同様の前提条件として受け入れた上で、③その上に覆い被せるようにして新たな空間を実現させる、という単純な、しかし尋常ならざる考えの下に作られているらしい、という点だ。
反証事例の検討はひとまず脇に置いて、ややロマンチックに妄想を馳せれば、そこには「場所の記憶を継承しつつ連続的に都市空間を更新するシステム」の萌芽が秘められている。
そこには、更地にしてからの再開発といった、都市を時間的にも空間的にも分断する手法では実現し得ない、複雑な深みのある街が生まれる可能性がある。
そして、もしそのような都市空間が実現するとすれば、それこそが「聖地・ヴァーラーナシー」ならではの、魅力的な都市空間となるのではないか。
そう考えた時、ともすれば見過ごしてしまう程度に奇妙な「融合寺院」を抱くヴァーラーナシーの雑然とした街並みが、川沿いの風景にも増して、たまらなく「聖なる風景」に見えてくるのである。
Tags: インド ヴァナキュラー | ARTICLEs 小論 | 09.05.25