ヴァーラーナシー(インド)の「死を待つ人の家」
火葬ガートへ向かう葬列
ヴァーラーナシーにある「死を待つ人の家」のちょっとした歴史的背景。聖地といえども異文化との接触は避けて通れない。今では当たり前のことが、実はそう遠くない過去には当たり前ではなかった、というような話です。この文章はNHKスペシャル「アジア古都物語:ベナレス」のリサーチャーをやっていた時にあたった資料に基づいているため、番組の内容と重なるところもあります。現在の「死を待つ人の家」がどんなところかは、番組DVDに詳しく描かれています。
『建築雑誌』03年2月号(2003年)所収の文章に加筆・修正。
「大いなる火葬場(マハーシュマシャーナ Mahashmashana)」。インドの聖地・ヴァーラーナシーVaranasi※1の異名である。そこで荼毘に付され遺灰をガンガー(ガンジス河)に流される(=解脱が約束される)ことを望む人々が、インド各地から年間数万人、死ぬために、あるいは死んだ後に訪れる、希有の都市である。
そのような人々を受け容れる施設が、ガンガー河畔のガート ghat(階段状の沐浴施設)周辺には多数ある。俗に「死を待つ人の家」と呼ばれるこれらの建築は、死にゆく人が単身あるいは家族や職員の援助のもと、余生を過ごす場である※2
今日、「死を待つ人の家」は、ヒンドゥー教徒の死生観を特徴的に表す施設として、聖地・ヴァーラーナシーを構成する重要な要素の一つとみなされている。しかし、その成立はそれほど古いものではない。実は、イギリス植民地支配の産物といってもよい存在なのである。
インドにおけるガンガーへの卓抜した信仰は、はるか古代にさかのぼるものである。いつの頃からか定かではないが、ガンガーで荼毘にふされることを望み、ヴァーラーナシーへ片道切符でやってくる(連れてこられる)人々も、古くからあったようである。しかし少なくとも約150年前、その河岸の状況は、現在とだいぶん異なっていた。
荼毘の煙立つマニカルニカ・ガート
19世紀前半、インドに滞在したイギリス人神宣教師の報告※3によれば、その頃、死の直前にガンガー河岸へと連れられてきた人々の多くは、何のケアも受けることなく、河岸のガートにそのまま露天で放置されるか、よくて粗末で不潔な小屋に転がされ、ただ死を待つのみであったという。このような状況を目の当たりにしたイギリス人宣教師は、これを「ガート殺人」と呼び、憤りを込めて弾劾、大々的な反対キャンペーンを展開した。
かくして衛生学と人道主義に則り、ガートに病人を「遺棄」することを禁ずる法律が制定されることになるのであるが、法的規制にもかかわらず、死にゆく人々はやはりガートに運ばれ続けたという。※4
ヴァーラーナシーの行政当局は、死体が都市に運び込まれ続けることによる衛生上の懸念から、ガンガー河岸での火葬そのものを禁止し、火葬場を都市外へ移転させることさえも目論んだ。しかし大規模な反対運動が巻き起こり、当局は移転計画を断念することになる。そしてついには、「火葬場が都市のためにあるのではなく、都市が火葬場のためにある」※5ことを認めるに至ったのである。
インドの伝統的葬送慣習との直接対決を諦めたイギリスは、その後、公衆衛生の向上と近代医療の普及による状況の改善につとめていく。「死を待つ人の家」はそのような背景の中、20世紀初頭に成立した施設である。それは、近代的衛生概念とヒンドゥー教的死生観との妥協、あるいは融合の産物といってよいものだろう。
左:マニカルニカ・ガートに面する時計台、右:裏手に積まれた火葬用の薪の山
ヴァーラーナシー最大の火葬場、マニカルニカ・ガート Manikarnika Ghatに面して、かつて「死を待つ人の家」であったといわれる一軒の建物が建っている。火葬場の焼き場の真上にそびえていながら、なんともその場に似つかわしくない西洋風の時計台を備えた折衷様式のデザインは、以上のような経緯を暗に物語っているように思われる。
ヒンドゥーの一大聖地、ヴァーラーナシー。その聖地としてのあり方もまた、少しずつ変容している。
※1:
ヴァーラーナシーという都市には様々な呼称・表記があるので、簡単に整理しておく。
Varanasi, Vārāṇasī, वाराणसी(ヴァーラーナシー、ワーラーナスィー、ワーラーナシー、ヴァラナシ、バラナシ・・・)
サンスクリット文献に基づく最も古いとされる呼称。都市の南北を流れるヴァルナVaruna 川とアッシーAssi 川(両河川の間に都市の主要部が位置する)に由来するとされる。
現在の公式の都市名もこの名であるため、柳沢は基本的にこの呼称を用いている。
しかし、日本語の表記では、VやSの子音の表現、長音「ー」の位置・数("na"以外は長母音となるのが正しい)などに混乱が多いのが難点。
Banaras, Banāras, बनारस(バナーラス、バナラス)
"Varanasi"のウルドゥー語流発音にもとづく呼称で、11c以降のイスラーム時代に用いられた。現在でも一般に使われている。
Benares(ベナレス)
"Banaras"の英語流表記。「バナーラス」「ベナリーズ」などと発音。イギリス植民地時代に用いられた。日本で最も知られている呼称の「ベナレス」は、これの日本語読み。
※2
マザー・テレサの設立による、同名のターミナルケア施設(コルカタ他多数)とは組織、内実とも異なったもの。
※3
James Peggs: "India's cries to British Humanity, relative to Ghat murders etc.,", The Calcutta Review, vol. X., Jul.-Dec., 1848
ただし、この報告の基本姿勢が、「ヒンドゥー教は「遅れた」「誤った」宗教であり、彼らに「健全で」「適切な」知識を普及し、この「野蛮な」慣習をやめさせなければならない」という著しいバイアスのかかったものであることには注意する必要がある。
※4
J.P. Parry, "Death in Banaras", p.45-46, Cambridge University Press, 1988
※5
"Annual Asministration Reports of the Benares Municipality, 1901-1971", p.71-72, 1925-26
Tags: インド | ARTICLEs 小論 | 09.01.29