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星の王子さま Le Petit Prince: 究建築研究室 Q-Labo.|https://q-labo.info/work/000040.php
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星の王子さま Le Petit Prince

Le Petit Prince

ゲストハウス, 1995(計画案)



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星の王子さま」が好きな人は、きっと一度は、「王子さま」に会ってみたい、と思ったことがあるだろう。あの砂漠に行けば彼と会えるのだろうか。星まで行かないといけないのだろうか。
この作品は、「『星の王子さま』に会う」とはどういうことかを、建築を通して考えたものだ。あえて題すれば、「星の王子さま」がそこにいるゲストハウス。

長い階段を上り、緑の生い茂った舞台を過ぎ、ガラスの箱を螺旋状にめぐり、列柱の間を抜けて水面下に降りていくと、コンクリートの空間の中に入れ子状に小部屋があり、その中ににじり入ると、水面越しの光にゆらめく一輪の花が咲いている。
という空間構成が作品のすべてである。

かの物語の寓意はいろいろに解釈されているけれど、全体に通底する主題となっているのは「対話」という形式だ。「王子さま」とバラの対話にはじまり、星々の住民やキツネとの対話、それらの対話が「わたし」との対話の中に織り込まれ、入れ子状をなしている(さらに言えば、物語そのものも読者との対話の形式で語られる)。そのような重層的な対話の中で、「王子さま」や「わたし」は様々なことに気づき、学び、あるいは何かを思い出していくのである。

そして最後に、「わたし」が「王子さま」との対話を通じて「一ばんたいせつなもの」に気付いたちょうどその時、「王子さま」は消滅してしまう。物語の中にあってさえ「王子さま」は現実の存在ではなかったことが暗示されている。あれは砂漠での遭難という極限状況下でパイロットが見た幻だった、と言っては身も蓋もないが、たぶん大きくは誤っていない。

だとすれば「わたし」は誰と対話していたのか、と考えると、それは「自分」でしかありえない。そして「自分との対話」とは、あらゆる「対話」の本質に違いないのだ。

つまり「王子さま」に会うということは、自分の内なる部分と対話することに他ならない。では、建築なり空間というものは、そのためにどのようなコミットが可能であるのか。

かの物語が「対話」について示唆するもう一つのことは、対話においては、そこに至るプロセスとその場のシチュエーションが決定的に重要、ということだ(そのことはキツネとの対話で端的に示されているように思う)。「王子さま」も「わたし」も、別れと旅、墜落と遭難という一種の儀式的プロセスを経た後に、はじめて建設的な対話に到達するのである。そして、砂漠あるいは「ちっぽけな星」という、対象と全存在をかけて向き合わざるをえないような状況設定が、きちんと提示されている。
これこそが「王子さま」との対話の実現にむけて、建築・空間の担いうる役割であろう。
さらに言えば、これは、建築・空間の本質にかかわる役割に違いないのだ。


・・・というようなことをすべて考えてから、作品をつくったわけではありません。

最初に物語から取り出したのは「対話」「旅」「砂漠」といったキーワード程度で、そこから、様々な空間を巡り経た後に何もない「対話」のための部屋に辿り着く、という基本構成ができた。その部屋は、一対一で膝をつきあわせる極小空間がふさわしいであろう。対話の相手は「王子さま」、とはいえ絵や像を置くわけにはいかぬ。何も無しで瞑想するのもつまらない。何か物理的かつ象徴的に向き合うものが欲しい。光か、いや花だ。バラだ。
・・・あれ、となると、この小部屋は、砂漠であると同時に王子さまの星ではないか。バラはまた「王子さま」でもあり「わたし」でさえある・・・とその段になって気付いたのだった。
(そこから、上記の物語の解釈につながっていった)

『星の王子さま』について考えていると、いつのまにか「建築とは何か」を『星の王子さま』を通じて考えることになっていた。今となっては造形を含め赤面の至りだけれど、建築は時に物語さえつくれるのかもしれない、と気づくきっかけとなった、思い入れの深い作品である。

名称:Le Petit Prince
ドローイング:インキング、パステル
制作:1995年

Tags: | WORKs 仕事 | 10.01.01

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