究建築研究室 Q-Labo.
究建築研究室 Q-Archi. Labo.|京都の建築設計事務所

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豊橋の水上ビル

7月28日、豊橋市にある「水上ビル」へ。
現在、この水上ビルの再生をテーマとした、愛知建築士会主催の学生コンペ「スマートシティ豊橋2012」が開催されていて、その一次審査員の末席に邪魔することになったので、現地見学会へ行ってきた。

水上ビルとは、今も現役の農業用運河(牟呂用水)の上にそのまま建っているという、実に珍しいビルの一群である。延長はおよそ800mにわたるとされ、上空から見るとこんな↓になる。(画像下中央付近から右上にのびる板状のビル群が、水上ビル)
うちのチビ2号(もうすぐ2歳)に見せたら、「でんしゃッ!!」と歓声を上げるに違いない。

(画像は、水上ビルを舞台としたアートイベントsebone 2011のサイトからリンク)

戦後のヤミ市を整理し跡地に大資本投入による商業施設を建設する際に、ヤミ市にあった商店の移転先として建設されたのがそもそもの経緯である。鉄道駅との近接性を求めて、当時すでに建て詰まっていた中心市街地の立地にこだわったがゆえ、このような水路上に建つことになった。最初期の部分は1964年に完成し、その後1967年までに全体が建設されている。64年は新幹線が開通し、オリンピックが開かれた、戦後の清算と高度経済成長の幕開けの象徴的な年である。京都では京都タワーがつくられた。

水上ビルの一部「大豊ビル」。3〜4階建ての縦割り長屋形式となっていて、1階部分に店舗、上層階が住居や倉庫として使われている。だから、各スパン毎に屋上まで抜ける階段がついている。閑散としている店が多いが、これは問屋が多いことも理由のようだ。

ビルの下に水が流れていることを示す橋の欄干。
橋の横にあった鉄板を持ち上げてみたら、それなりの水量の流れが確認できた。
街路から水が感じられないのは、やはりもったいない。

豊橋を含む三河は花火の盛んな土地だという。初めて知った。
もらった資料には、街中の神社やお寺で開催される花火祭りの日程が載っていた。

水上ビルの背景と現況・今後にむけての問題点は、下記に簡潔に要約されている。
>> 日本都市計画学会・中部支部だより「豊橋「水上ビル」懇話~その成り立ちと次の10年にむけて~」(2010.8.25)

「現状では建て替えは望めないため、いずれは用水に戻すことになる。しかし、壊すまでの10~15年余の間、この“おもしろい”建物が、どうすればスラム化・陳腐化せず、元気に少しでも永く生き延びることができるかを考えて行きたいと思う。」

ざっと眺めた限りであるが、水上ビルの魅力というか可能性は以下のようなものか。
・水路の上に建っているという状況
 (実際は基礎中を水路が貫通している、と言った方が近い)。
・都市を貫通する線状の形態、800mという長さ
 (都市のインフラとなりうるスケール)。
・中心市街地との近接性
 (町外れにあったらこのような議論の対象にもならなかっただろう)
・住居と店舗の複合性(だいぶ弱まっているが)

法の問題は突っ込んで聞いていないが、「建築」であるがゆえに「水路」の上に存在することができないのだとすれば、「建築」ではなくすのも一つの可能性である。橋のような建築はアウトだろうけど、建築のような橋はセーフかもしれない。

見学の後、豊橋中心市街をうろつき、ようやくみつけた鰻屋で鰻丼を食べ名古屋へ帰る。
関西風のパリっとした鰻でうまかった。そういえば京都では「かねよ」と近所にあった「江戸正」に時々いったが、どちらも蒸しのはいった関東風であったため、関西風は実は初めてだったかもしれない。

Tags: | MEMO 雑記・ブログ | 12.07.30 | (2)