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インドの都市から考える2:ヒンドゥー教における住まいの象徴性 : 究建築研究室 Q-Labo.|http://q-labo.info/article/000346.php
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インドの都市から考える2:ヒンドゥー教における住まいの象徴性

日本建築家協会(JIA)東海支部の発行する機関紙『ARCHITECT』に、2012年12月より2013年10月まで隔月連載されたものです。


連載:インドの都市から考える(柳沢究)
第1回:巡還と囲繞の都市構造
第2回:ヒンドゥー教における住まいの象徴性
第3回:伝統的な中庭式住居での生活
第4回:水辺の建築空間 ガート
第5回:動物のいる都市空間
第6回:街と融け合う寺院

第2回:ヒンドゥー教における住まいの象徴性

(『ARCHITECT』2013年2月号、日本建築家協会東海支部)

 前回、ヒンドゥー教には「浄/不浄観」に基づく階層的秩序を指向する傾向があり、世界の姿もまたメール山を頂点とする階層的な同心円構造によってとらえられること、そしてそのコスモロジーが都市に投影されている事例を紹介した。今回はそのようなヒンドゥー教の観念と住居のかかわりについて見てみたい。
 

■住居の中の浄/不浄

 ヒンドゥー教徒の伝統的住居に浄/不浄観に従った三階層の領域があるとされる。最も神聖で清浄な領域とされるのは、家庭内の祭祀(プージャ)が執り行われる祭壇のある場所である(図1)。そこにはシヴァやヴィシュヌといったヒンドゥーの神々や聖人の図像が祀られる。日本に例えれば仏壇と神棚が混ざったような場所であるが、日本と異なるのは、現代でもほとんどすべての家に(大小の差はあるが)このような祭祀の場が備わっている点である。
 これに続く清浄な領域が台所と玄関である。台所(図2)は身体に入る食品の浄/不浄を、玄関は家に入る人間の浄/不浄をコントロールする場であるからだろう。居室やヴェランダといった生活スペースは中間的な領域である。不浄の領域と見なされるのは、浴室やトイレ・ゴミ置き場といった人体からの排出物(体液や排泄物)、家からの排出物(排水・ゴミ)に関する領域である。部位では床も不浄とされる。
 清浄な領域と不浄な領域はなるべく離すべきとされ、その配置は後述する方位やマンダラのヒエラルキーと関連づけられる。また不浄な領域や部位の掃除は、家人ではなくそれを専門とする「儀礼的に穢れた」人々(掃除人など)が行うものとする考え方は、今も根強い。

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左/図1: ある住宅の祭壇(マドゥライ)、右/図2:土製の竈のある台所(マドゥライ)。今ではこのような台所は少ない


■宇宙としての住居

 浄/不浄観とならびヒンドゥー教に通底する思想に、世界を司る普遍的原理=ブラフマンは、個人の本体=アートマンと同一であるとする、「梵我一如」という考え方がある。宇宙の中に小さな宇宙(例えば人体)があり、その中にも宇宙全体が含まれるという、無限の入れ子構造の世界観につながるもので、この考え方に則れば住居にも宇宙が投影される。
 そのようなヒンドゥー教の思想に基づく、住居や建築(ヴァストゥ)にまつわるインドの伝統的な知識(ヴィディヤ)の体系を「ヴァストゥ・ヴィディヤ」と呼ぶ(ヴィディヤは漢字では「明」をあてる。つまり漢字に置き換えればヴァストゥ・ヴィディヤは「匠明」となろうか)。その起源は紀元前1500年頃まで遡り、各地域・各時代に編纂された多くの書物が伝わる。その内容は敷地選定から寸法体系までを幅広くカバーするが、特徴的なのは、神々の配置されたマンダラを建築や都市のレイアウトにあてはめるという手法である。宗教的意味合いが色濃いものの、気候条件や伝統的技術・習慣に適応しつつ建築のクオリティを維持するための経験知の集成という側面を持つと考えられる。誤解を恐れずに言えば、東アジアにおける風水、あるいは日本における家相学に似る。
 ヴァストゥ・ヴィディヤに基づき住居を計画する際の基本的なツールとなるのが、ヴァストゥ・プルシャ・マンダラである。ヴァストゥ・プルシャとは、かつて天と地をその身体で覆いつくす魔物であったが、神々によって大地に押さえつけられたという。いわば大地の精霊であり、土地のもつエネルギーを人(神)格化したものである。ヴァストゥ・ヴィディヤにおいては、建物をたてる敷地は(実際の形はどうあれ)理念上各辺が東西南北に即した正方形であり、そこにヴァストゥ・プルシャがうつぶせにぴったりと横たわっていると考える。頭が東北、足が南西である。敷地はさらに8×8や9×9のグリッドに分割され、各区画にブラフマー神を筆頭とするヒンドゥーの神々が、太陽の運行や方位のヒエラルキーに従って配置される。これがヴァストゥ・プルシャ・マンダラである(図3)。ヴァストゥ・プルシャは人体の、神々の居並ぶマンダラは宇宙の表象であり、かくして住居はヴァストゥ・プルシャ・マンダラを通じて、宇宙と人体という二つの秩序(コスモス)に接続する。家もまた一つの宇宙となる。
 ヴァストゥ・プルシャの身体部位や配置された神々の属性は、住居各部の用途を規定する。例えば、心臓のある中心区画は創造神ブラフマーの座する最も重要な場所であるため、建築物を建ててはいけない。すなわち中庭にしなくてはならない。頭部にあたる東北隅は中庭に次ぐ神聖な場所であり、祭祀室などにふさわしい。足にあたる南西隅には不浄なトイレを置く。南部は死を司る神ヤマ(仏教でいう閻魔)の領域であるから、入口をつくってはいけない。南東部は火神アグニの領域であるから台所に向く。といった具合である(図4)。このような方位のヒエラルキーは、モンスーンが吹きつけ昼の日射が直撃する南西の方位が嫌われ、朝日の光が入る東が尊ばれる、というように環境的条件の反映という観点から解釈することもできるだろう。

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左/図3: ヴァストゥ・プルシャ・マンダラ、右/図4:ヴァストゥ・プルシャ・マンダラに基づく諸室配置の例( 図3・4の出典:Chakrabarti, "Indian architectural theory : contemporary uses of Vastu Vidya” , Oxford University Press, 1999)


■ヴァストゥ・ヴィディヤの実際

 とはいえ実際の住居では、敷地の制約や家の規模の問題もあり、以上のような規定が忠実に実現されることは少ない。
現代の都市部の集合住宅では、そもそも中庭を設けることも難しい。しかしながら場所の浄/不浄や方位に関する観念は、今でもかなりの程度意識されていると考えられる。家を建てる際には専門家を呼び、部屋の配置や方位を注意深く検討する人々がいる。着工時および完成時には、ヴァストゥ・プルシャを祀る祭祀が執り行われる(図5)。神様を祀る祭壇は必ず東向きにし玄関は南向きを避けるといった傾向は、筆者による調査でも確認されており、このような住居観が今も生きていることを感じさせる。また、近年の不動産ブームによる住宅供給ラッシュの中で、ヴァストゥ・ヴィディヤに基づいて建てたことを喧伝する高級住宅も増えている。消費社会化・価値観のグローバル化が進行する現代のインド社会の中で、伝統的価値観が再活性化していると見てよいだろう。

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図5: 着工時の祭祀の風景(画像出典


このように紹介すると、やっぱりさすがインドは日本と違い宗教的な伝統が生きているのだな、と思われるかもしれない。しかし日本でも宗教的儀礼を伴う地鎮祭や上棟式はほぼ欠かさず行われており、プランの検討時に家相(特に鬼門)を気にする人は決して少なくない。仏壇や神棚も何とか生きている。もちろん生活の中での意識や身体化の度合いは大きく異なるが、ここに紹介したインドの話は、必ずしも遠い世界の出来事ではないように思う。これらのコスモロジーや儀礼、住居に関する規定は、広漠としたとらえどころのない世界の仕組みを何とか構造化し理解しようという試みであり、それを通じて世界と自分との関係を結び、世界の中での自身の立ち位置を定めようとする試みにほかならない。それは古今と東西を問わず人類が取り組み続けてきたテーマであり、建築や都市の根源的役割の一つである。

Tags: | ARTICLEs 小論 | 13.11.19