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装飾と住居: 究建築研究室 Q-Labo.|http://q-labo.info/article/000038.php
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装飾と住居

fig8a.jpg 南アフリカの装飾豊かな住居("Couleurs du monde", Le Moniteur より)

ヴァナキュラー住居に見られる建築装飾の意味と機能について整理したもの。「装飾とは装飾主体となる人間と世界との関係の表現である」と考えると、建築は本質的に「装飾的」であるはずなのに、現代の建築の多くが装飾性を排除している(かのように見える)のは何故でしょう。それはおそらく「装飾主体」が誰なのか、という問題と関連しているのでしょう。

世界住居誌』、昭和堂(2005年)所収の文章を一部修正。書籍に掲載されていた図版は未掲としました。


 建築における装飾とは通常、細部意匠や彩色・彫刻など「実用的機能に関係しない表現」のことを指す。近代以降、建築における装飾の肩身は狭い。機能的な裏付けを持たず、付加的・付随的であり、表面に薄く貼り付けられた非本質的なもの、というのが今日の一般的理解であろう。

 しかし住居、特にヴァナキュラーな住居における装飾とは、もう少し奥深い。自らの住まいを装飾するという行為は、身体装飾と同様に、「人間はなぜ飾るのか」という根本的な問題に関わるからである。

 住居は人間が作る物のなかで、最も大きくかつ恒久的な最重要の工作物の一つである。その建設には多大な労力と時間・コストが費やされるため、住居には人々の依拠する宗教的・階級的・社会的あるいは個人的な思想や価値観が色濃く反映される。結果として住居は、その構造全体から細部の形態にいたるまで、様々な意味や価値を帯びることになる。
 大雑把に言ってしまえば、それらが視覚的に表現されたものが装飾である。


■アイデンティティの表現としての装飾

 住居を装飾する動機は、魔除けなど呪術的なものから先祖崇拝、権力や地位・富の顕示など多岐にわたるが、装飾をほとんど行わない文化においてさえ必ず見られるのは、帰属意識の表明としての装飾である。
 伝統社会における居住は必然的にある集団への帰属を意味し、それは一定の様式によって視覚的に表現されるのが一般的である。特定の文化なり集団をアイデンティファイするサインは、建築の場合、特に屋根に表れることが顕著である。スマトラ島の民家群、中欧やアフリカで見られるフィニアル(屋根の頂部飾り)など、この種の例は数多い。

 また装飾は集団内部における格式にも直結する。すなわち住居に施される装飾の多寡や様式は、服装や装身具と同様に、当該集団の全構成員が直ちに理解しうる、階級や身分・職業などを明示する社会的記号である。このような文化的にコード化された装飾は、集落の統一的景観を形成する大きな要因ともなっている。個人的なアイデンティティの表現として最も単純なのは、所有の表明あるいは他からの差別化を目的として行われるものだ。


■どれくらい装飾するか

 住居を装飾する程度はところにより様々であるが、これは文化的性向というよりも、むしろ材料・技術・経済的条件から理解されるべきことも多い。
 まずその地方で伝統的に用いられる材料の性質が影響する。例えば木材は彫刻も彩色も容易であるが、葦や椰子の葉などはそのような装飾にはあまり適さない。石材は基本的に加工に手間がかかるため、柔らかい砂岩などをのぞいて住居で彫刻的装飾に利用されることは少ない。日干し煉瓦は表面が粗く不安定なため、積み方によって装飾的パターンをつくるか、漆喰を併用して飾られる。道具や加工技術による制約も少なくない。

 生活様式もまた装飾の程度に大きな影響を与える。部材を運ばずに現地の材料でそのつど建設する狩猟民の住居は、あまりに仮設的なため装飾の余地がほとんどない。住居ユニットを持ち運ぶ場合はある程度の装飾が見られるが、遊牧民の住居の装飾は概して控えめである。
 例外はあるにせよ、一般に複雑で豊かな装飾は定住社会の特徴であり、また比較的裕福な社会の産物に違いない。定住社会の住居は数世代にわたり使用されるから、装飾に費やす経済的・時間的余裕をもつことができたというのは、少々単純ではあるが一つの理由であろう。


■どこを装飾するか

 どのような事情によるにせよ、住居のあらゆる部分に装飾が施されることは少ない。宗教建築やコミュニティ施設が住居に比して圧倒的に密度の高い装飾が施されるように、住居の中心となる主室や中庭・客間や宗教的儀式に用いられる部屋など、相対的に重要度の高い空間に装飾は集まる。
 さらに住居を構成する部材や要素ごとの装飾の度合いにも格差がある。ある空間、要素に装飾が施されているという事実は、それらが住人あるいは建設者にとって何らかの意味や価値をもっていることを示しており、その序列は装飾の密度や複雑さにより明らかにされる。
 装飾によって住居内の各要素の価値体系が秩序づけられているといってもよい。

 どの要素が装飾的関心の焦点となるかという点には文化ごとの特徴が反映されるが、一般的に以下のような共通の傾向がみられる。

 第一に、構造的に重要な部材や特殊な役割を果たしている要素は装飾を招く。
 なかでも柱は、時に社会的なメタファーにまで拡張されるように(社会の柱石pillar of society、大黒柱など)、その卓越した構造的重要性ゆえ、多くのヴァナキュラー建築においてバリエーション豊かに装飾される
 柱や土台、柱頭、肘木、持ち送りなどの構造材は、垂直性や接地性、荷重を受けとめる、あるいは伝達するといった、それぞれの機能や性質を強調するような形態・モチーフで彩られる。
 組積造における窓枠やドア枠は構造的要求から必然的に頑丈なものとなり、開口であることを強調するように飾られる。ベドウィンの移動住居では幕自体や支柱に装飾は少ないが、幕を支柱に結びつける紐や帯は華やかな模様織で飾られている。
 また西洋の暖炉や日本の床の間など、住居内の象徴的な中心を形づくる要素は室内装飾の焦点となる。複数階をもつ住居では、垂直動線という特殊な空間である階段室が、特に手摺りに意匠を凝らして劇的に演出される。

 第二に、装飾は開口部や出入口など境界領域において突出して表れる。
 敷地を囲む塀や住居の外壁は、内と外、公と私、自らに属する世界とそうでない世界とを分ける物理的かつ社会的・象徴的な境界であり、そこには住居が外部の世界といかに関わるかという態度が表出される。
 ラージャスタンや南アフリカの住居壁面を彩る多種多様の装飾は、住人のアイデンティティを明示するとともに、外界から住居を守るための結界をなしている。さらに、そこに開けられた門や扉・窓といった開口部の周辺は、あらゆる文化において最大級の装飾的扱いをうける。
 窓や玄関は住居の顔とみなされると同時に、内部からは外の世界をうかがい観る額縁でもあり、枠から建具、金物にいたるまで入念に飾られる。これらの装飾は住居に好ましいものを招き入れ、あるいは招かれざるものの侵入を拒み、時に両方の役割を担っている。この種の装飾の呪術的意図は、身体における装飾が皮膚表面や目・口・耳(人体の開口部である)に集中して施されることと無関係ではない。
 また住居内には男/女、聖/俗、表/裏など様々な二分法的領域が存在するが、それらの境界も程度の差はあれ何らかの装飾によって示されるのが一般的である。

 また、装飾される部位・要素の選択には、何にもまして視認性の高さが大きく関わる。いかに重要であろうと、目に触れない床下や天井裏の構造が装飾されることはまずない。それゆえ帰属集団をアイデンティファイする装飾や社会的地位を示す重要な装飾は、外から見て最も目立つ屋根に往々にして表れる。内外の仕上げ材は構造的制約から自由なこともあり、先にあげた傾向と矛盾するようであるが、装飾されやすい。木造建築によく見られる木鼻や妻飾りの彫刻、ファサードを構成する壮麗な出窓やフリーズなどの装飾は、そこにどのような機能や象徴性が秘められているにせよ、よく目につくことが基本前提にあるといってよい。


■見えない装飾

 その一方で、装飾をある要素にのみ限定し、あるいは装飾を行わないように見える文化もある。しかしこのような場合でも、住居はさまざまな規範や儀礼に則り建てられることで、必ず社会的・文化的な意味付けを施されている。
 たとえばインドネシア、スマトラ島のバタク族の住居に関する規範は、共同体内部において宗教的・法的な権威を有し、敷地や方位の選定から空間構成、各部のプロポーション、寸法体系にまで及ぶという。住居建設にあたって、工程の節目節目でとり行われる様々な建築儀礼は、土地と住居と人間の三者の関係をとりもちながら、住居に意味づけをする儀式である。
 境界領域をはじめ、住居のあらゆる場・部分に込められた意味は、装飾によってあからさまに表示されない場合でも、日常的作法や禁忌(タブー)、祭祀というかたちで日々体現されている。多くの伝統文化において住居の諸処に宿るとされる神や精霊も、その象徴的な表現にほかならない。これらはいずれも「見えない装飾」というべきものである。


■装飾は秩序

 以上のように見てくると、住居に見られるさまざまな装飾は、「自己と世界(自分以外)との関係の秩序化」と深く関係していることがわかってくる。「自己と世界の秩序化」とは、世界の中に自らを位置づける行為であり、人間が人間として人間世界で生きていくにあたって欠くことのできない行為である。これは建築に限らず装飾一般にまであてはまる。
 「装飾とは装飾主体となる人間と世界との関係の表現である」、と言葉をかえて表現してもよいだろう(この場合の「関係」には、どのような関係をもちたいと望んでいるか、という姿勢も含んでいる)。
 それゆえ住居における装飾には、人間と建築・建築と環境・環境と人間、それぞれの複合的な関係が鮮やかに表現されているのである。より大きな視点で見れば、建築や集落の立ち姿そのものが、土地に施された(人間と環境との関係を表現する)装飾であるといってもよい。

 冒頭に述べたように、機能と装飾はしばしば対立的なものとしてとらえられているが、少なくともある装飾が発生した時代において、それは物理的にせよ象徴的にせよ、充分に「機能的」で「実用的」なものであったはずだ。
 時代の変化とともに、その人間と住居・環境との関係のあり方に何らかの変化が起これば、それまでの関係に基づいた表現は、いきおいその根拠を失った「表層的」なものにならざるをえない。しかしそれは、決して「非本質的」なものではなく、住居に刻まれた文化的な記憶であると見るべきだ。ヴァナキュラーな住居は様々な装飾に充ちているが、それは、住人が(時に数百年にわたり)いかに環境と折り合う努力を重ねてきたかを今も雄弁に物語るものである。

 新たな関係が生まれれば、また新たな装飾が生じる。人は服飾なしに暮らすことがないように、装飾を行わずに、すなわち世界と自己とを関係づける作業抜きに、住まうことはできないはずである。
 近代以降の建築における装飾性の排除は、経済システムの変化(端的には一件あたりの建築コストの低下)や19世紀の様式主義に対する反動などさまざまな要因に基づくだろう(人間をとりまく関係性の希薄化が、装飾の希薄化に繋がって見れれば面白いが、実際には建築以外の部分の装飾に転化してる部分が多いと想像される)。しかし世の中を見渡せば、21世紀のいまでも建築に「装飾」は溢れている。
 その中にあって、装飾が無いかに見える一部のデザインは、「装飾を拒否する」という意味を装飾として成り立っている一種の装飾なのであろう。あるいは、施主の生活様式から生まれる空間構成などが「装飾性」を担保していると見ることもできるかもしれない。しかし、このあたりはもう少し慎重な検討が必要であろう。

Tags: | ARTICLEs 小論 | 09.01.17