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古色:「古材色の再現」から「新しい表現」へ

mayu.jpg 古色づけされた杉板と引摺の土壁(繭 mayu)

町家再生などで試みた伝統的な木材塗装「古色付け」について、まとめたものです。いわゆる「古びた感じ」の表現にとどまらず、木材塗装をもっと自由に使ってもいいんじゃないかというのが主旨。神楽岡工作公司のサイトに載せている「古色に関する覚え書き」の「4.古色に関する現状と展望」に相当するものです。

『コンフォルト Comfort』No.76、建築資料研究社(2004年)掲載の文章を一部修正


 「古色蒼然(こしょくそうぜん)」という語があるように、「古色」とは、物が長い年月を経て日光や風雨にさらされた結果、色褪せてひなびた様子を意味する。「古色を帯びる」と、新彩時の鮮やかではあるが、けばけばした雰囲気がなくなり、落ち着いたものとなる。
 寺社などの歴史的建築物の修復現場では、老朽化した材を新しい材に置き換える必要がしばしば生じるが、こうした場合、新補材に「古色」をつけて周囲の古材との色彩的な統一に配慮する。これを「古色仕上げ」という(単に「古色」、あるいは「古色付け」ともいう)。


■古色の可能性

 初めて古色仕上げに取り組んだのは、京町家の再生計画(繭 mayu)にたずさわった時である。築たかだか80年といえども、時代を刻みこんだ町家の柱・梁は黒々と輝いており、部材の交換をともなう再生にあたって、古色が欠かせないことは明らかであった。
 ただ色を黒くするだけであれば、オイルステインなど既製の塗料を塗ればよい。しかし、それでは不自然なツヤがでてしまったり、場所や材種によって異なる微妙な色合いの調整が難しいのが問題である。
 古色に関する研究は今のところほとんどないが、さいわい京都には古建築の修復に携わる職人が少なくない。そういった大工さんに聞いたところ、ベンガラ・松煙・柿渋、この三点を調合・塗布する方法がよいらしいことを知った。「繭」の古色仕上げは、これだけの情報を元にした文字通り手探りの試みであった。
 その後実験を繰り返し、また多数の寺社の修理事例を参照した結果分かったことは、古色仕上げは一般に数種の顔料・染料を用いて塗装という形で行うこと、溶剤としては水、油、柿渋、漆、膠などを用いること、より自然な質感を出すためにはやはり伝統的な天然材料を用いるのがよい、ということである(バーナーで焼いてブラシで削るといった物理的加工や、薬品を用いて化学的変化を起こすという手法もあるが、一般的ではない)。つまり、古色仕上げの手法は、基本的に日本の伝統的な建築塗装法につながるものといってよい。しかし、いろいろの調合・塗装を試みる中で、そこには単に「古色」として「古びた質感」を擬すだけにとどまらない、様々な木材塗装の可能性が秘められていることに気がつくのである。



 
京町家再生「繭 mayu」での古色仕上げ作業(神楽岡工作公司)


■木材を塗るということ

 古色あるいは木材を塗装するというと、木材は白木(素木)の自然な風合いが最高なのに何故塗装するのか、という声をよく耳にする。白木こそ日本建築の本質である、といった伝統(精神?)論をそこに加える人もある。
 では、そもそも木材を塗装するとはどういうことなのだろうか。
 木材塗装の目的は大きく二つあるとされる。
 一つは木材表面を保護し、防水や防腐、防虫などの耐久性を与えるという機能上の理由であり、もう一つは異なる材種の色合いを統一したり、手垢などの汚れを目立たなくさせるという、美観上の配慮である。あまり知られていないことであるが、寺社や書院などもともと白木を旨としたものを除いて、民家や武家屋敷など一般の建築の多くは(少なくとも明治の頃まで)色濃く着色されていた。よく見られる古民家の美しく黒ずんだ木材は、経年変化で黒くなったものではない。白木は紫外線で限りなく褐色化するものの黒にはならないし、室内では(囲炉裏やかまど周辺を除いて)そのような変化は通常おこらない。外部の材であれば風雨による劣化も著しい。木造建築が時代を経てもなお美しくあるために、木材塗装は一定の貢献をしていたのである。

 それにもかかわらず、現在、民家(住宅建築)において木材塗装の伝統がほとんど残っていないのは何故だろうか。理由の一つは、前近代では木材塗装を行う専門の職能がなかったこと、つまり塗装の仕事は主に住み手自身や大工の片手間として行われていたために、技術が体系的に蓄積・継承されにくかったことが考えられる。
 しかし木材塗装の伝統が途絶えた決定的な原因は、先に述べたような、今も根強くある「白木信仰」であろう。今日の「白木信仰」の直接のルーツは、明治の洋風塗装への反動と昭和の銘木人気にあると推測されるが、さらに、モダニズム的な素材に対する純粋主義と、近年では自然素材偏愛の風潮がそれを強めている観がある。早川正夫氏が、利休の数寄屋や桂離宮が着色されていたことを指摘しているように、白木だけが日本建築ではない。白木の元祖といわれる伊勢神宮でさえ、いつの頃から白木造となっているのか、明らかではないのだ。


■古色から木材塗装へ

 今日、建築・インテリアにおいて木材が好んで利用されている状況は、様々な点で喜ばしいことであるが、だからといって何から何まで無垢の白木づくしというのでは、いささか興醒めである。なにも白木の良さを否定したいわけではない。機能的な理由はもちろんだが、木材の意匠上のバリエーションとして、塗装をもっと積極的に活用してよいではないか、ということである。
 古色仕上げの可能性の一つは、さまざまな材料や手法を用いることで、木材の隠れた表情を引き出す点にある。古びた質感の表現はその一例にすぎないし、その意味では伝統の材料にこだわる必要もない。だから「古色仕上げ」と言っても、「古びた様子の再現」というように狭くとらえるのでなく、その手法を応用した「木材塗装」のバリエーションとして幅広く考えてみてはどうだろうか。
 一般に、木目の美しさは塗装によってより際立つ。コンパネや各種合板などの安価な材料でも、塗り方次第では無垢の材にひけをとらない魅力的な表情が生まれる。さらにOSBやPSLといった、エンジニアード・ウッドと呼ばれる新たな木材の登場がある。素材そのものの色しか使わない、などという色彩禁欲主義ではつまらない。木材を塗装することによってこそ実現できる空間が、あるはずである。


■自分で調合・塗装する

 古色の可能性のもう一つは、素人でも容易に行えるという点である。
 古色仕上げは伝統的な塗装法に通じるといったが、その主な材料は水や油、柿渋、ベンガラや松煙といった身近で扱いやすく、人体や地球環境にも負担の少ないものである。現在、木材用のさまざまな自然系塗料が販売されているが、これらとそうかわらないものを自分で調合することも可能である。
 また、かつて民家の塗装が住み手自身によって行われていたように、特別に高度な仕上がりを望むのでなければ、手法自体も手間と時間はかかるが難しいものではない。実際に、「繭」の古色仕上げにおいても、多くの学生ボランティアが塗装作業に参加している。
 古色=木材塗装とは、誰もが取り組むことのできる、いわばオープンな技術なのである。建設コストを下げる目的でも、またセルフビルドへの導入としても、木材塗装は有効な手段といえるだろう。

 実際にやってみると分かるが、意外に簡単なやり方で実にいい表情が生まれる。材料の調合や塗装方法を工夫すれば、もっとよくなるかもしれない。反面、なかなか乾かなかったり、突然色が褪せてしまったり、猫が走ったら色が落ちてしまったりと、予期せぬトラブルも起こりがちではある。メンテナンス・フリーということもない。だが塗料はいつかは乾くし、色が落ちたらまた塗ればよい。建物に対する愛着はそうして育まれていくのだ。

Tags: | ARTICLEs 小論 | 09.01.18

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